沖田が風邪を引いた。
 馬鹿は風邪を引かないとは言うが、あんなものは迷信だ。若い上に体力もあるのでそうそう風邪など引くことはないが、それでも奴は人の子だ。数年に一度程度は風邪くらい引く。ちょうど季節の変わり目で、急に冷え込んできたのもよくなかったのだろう。衣を入れ替えるのが面倒だったのか夏のような格好をしていたのをも何度か見かけている。だからまあ、自業自得と言えなくもない。
 ひとまず病院にかかって、ただの風邪だろうという診断はもらっている。それならばできることはただ安静にしていることくらいのものだろう。自室療養などと命令を出すまでもなく、弱った奴は布団の中に籠もっているようだった。放っておいても明日、明後日にはけろりとした顔で復帰してくるだろう。そこまでわかっているのに奴の部屋に足を向けたのは……まあ、単なる気まぐれだった。
 
「総悟、調子はどうだ」
 
 眠っているのなら訪ねるのはやめておこう。そんな気遣いのもと、そろりと障子を開けてみたのだが沖田とばっちり目が合った。眠れないのか、気配で目が覚めたのか。後者なら悪いことをした。よく眠れるように新しい氷枕でも持ってきてやればよかったか。ぐったりとしたその姿を見て、気の回らなさに思い至る。
 
「良くはねェです。頭痛え」
 
 相当弱っているらしく、素直な本音が返ってくる。喉もやられているようで、絞り出されたその声はがらがらと掠れていた。
 
「そうか。何か欲しいものはあるか」
「…………副長の座」
「軽口叩く元気はあるな」
 
 この分だとさほど心配することもないだろう。
 枕元には水が張った桶。そして額には濡れタオルが置かれている。触れてみればタオルは生温かく、桶の水は常温に戻っていた。何をしろと要求はされなかったが折角見舞ったのだから交換くらいはしておいてやるべきか。
 そう考えて額のタオルへ手を伸ばしたところで沖田が俺を呼んだ。しゃがれた声はひどく小さく、聞き取り辛い。だがこの静寂の中で聞き逃すのは難しい。
 
「アンタ、風邪で弱って色っぽくなってる俺にやらしーことしに来たんじゃねェんで?」
「……は?」
 
 弱っていても沖田は沖田だ。浮かべる笑みは邪悪そのもので、隙あらば搦め捕られてしまうようなおぞましさがある。
 目病み女に風邪引き男という言葉がある。病を患って潤んだ目や色を白くした肌は色気を感じさせる、といった感じの意味合いだ。その言葉を理解できないこともない。言われてみれば弱ってぐったりとした姿は色っぽいと言えなくもない。だが生憎と弱っている相手に手を出すほど俺は異常者じゃない。
 
「馬鹿言え。そんな状態で下手なことしたらいよいよぶっ倒れるだろうが」
「……はは、俺が色っぽいのは否定しねェ、と。っぐ、げほ……ッ」
「あんまり喋んな。ついでに飲み物も持ってきてやる。水でいいか?」
 
 立ち上がろうとしたのは腕を掴むことで阻まれた。裾をぐいぐいと引かれ、こっちに寄れと言外に要求される。
 ともすれば甘えているように見えるそれはあまりにらしくない行動だ。弱るとたいていの者は人恋しくなるもので、沖田もそんな状態なのかもしれない。そうだとしても俺に甘えてくるということはもしやなかなかにやばい状態なのか。なにせあの沖田だ。平時のコイツがなんの企みもなくこんなことをするはずもない。それならば今もなんらかの企みがあるのかもしれない。そう疑いはしたが、手を払い除けたりはしなかった。
 今のコイツにできることなどたかが知れている。なんらかの企みに乗ったところでそう酷いことにはならないだろうと判断した。単純に、拒否するには惜しい程度には珍しい行動だったというのもある。
 ぐいぐいと引っ張ってくる手は、どうにも俺が目線を落とすことを求めているらしい。引かれるまま、畳に這いつくばるような形になって目線を合わせる。何がしたいのかはわからなかった。
 
「おい、そろそろ何がしてえのかぐらい……ッ、ぅ!?」
 
 ようやく抗議の声を上げたところで、それは中途半端に遮られた。裾から手が離れていったかと思うと、今度は病人とは思えない速度で首に腕が回った。そこから力任せに引き寄せられ、唇は物理的に塞がれた。
 唇に触れているのは奴の唇だ。風邪と寒さのせいでかさついたそれはお世辞にも触り心地がいいとは言えない。かさついていると気付いた途端にそのままにしておいてはいけない気分になってくる。しかしリップクリームなど俺もコイツも持ってはいない。あとで山崎にでも買いに行かせるか。そんな考えはぬるりと入り込んできた舌によって妨げられた。
 
「っ!?」
 
 体温が上がっているせいだろう。触れた舌は異様に熱く感じられた。それによってコイツが病人であることを再度認識させられ、状況の異様さに気づく。強引に身を起こせば首に絡んでいた腕はずるりと落ちていった。
 
「何してんだお前」
「……苦ェ」
 
 会話が成り立っていない。キスをした際に苦いと苦情をぶつけられるのはよくあることなので気にはしない。病人の前ということで吸うのを控えてるのだからそれで充分だろう。少なくともコイツのためにあらかじめ口腔ケアをしておいてやる気はない。
 
「人に移すと早く治るって言うでしょ」
「見舞いに来た奴に移そうとしてんじゃねえ」
 
 よく言われることだがそんなものは迷信だし、コイツだってわかっているだろう。そうなると先ほどのキスは純粋な嫌がらせか、もしくは募っていた人恋しさの発露といったところか。とちらかは問うたところで解答が得られないと思うのでポジティブに後者だと思っておこう。
 今度こそ桶とタオルを手に退室しようとするとすかさず呼び止められる。……これは、真面目に人恋しいんじゃないだろうか。
 
「せっかくなんで添い寝してくだせェよ」
「移す気満々じゃねえか。考えが見え透いてんぞ」
「チッ」
「手のひら返すの早過ぎだろ」
 
 どこまで本気はわからないが、何割かは本音が混じっているのかもしれない。流石に添い寝まではしないが、気が済むまで側にいてやるくらいはしてもいいかと思う。
 とりあえず移されないようにマスクくらいはして戻ってくるべきか。なおも呼び止めようとしてくる沖田を適当にあしらいながら、今度こそ本当に踵を返した。

皮剥ぎ

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