第一段階はクリアした。俺の隣では土方さんが無防備に眠りこけている。
相当疲れたのか、今日は一段と眠りにつくのが早かった。泣き腫らした跡と寝る時さえも標準装備されている眉間の皺がアンバランスだ。冷やしておかないと明日困るのではないか、と思いはするものの甲斐甲斐しく世話を焼いてやるつもりはなかった。俺が原因でこの人が困るのならそれを潰すのはもったいない。それに泣き跡なんて見られたところで昨日はペドロでも観てたんだろうなと思われるのがオチだ。放置していようが俺の期待する展開にはなるまい。
ひたすらに追い詰めて散々に泣かせて、鳴かせて。そうして眠ったこの人は目を覚ましにくくなっているだろう。だがそれでもあまり無遠慮に触れれば目を覚ますだろう。そもそも人の気配には敏感な人だ。
そこまでわかっていて、あえて普通にその左手を取る。いくら疲れて熟睡しているとはいえ、慎重に触れなければ目を覚ます可能性はおおいにあった。だが目を覚まさせないことは俺の目的からは外れる。ここまで小細工をしたのは『俺がこの人に気付かれないようにこっそり何かしようとしている』という状況を作るためだ。実際のところは起きていてもらわなければ俺の目的は達成されない。
手を取ったあたりで土方さんの瞼がぴくりと震えた。寝息が途切れ、呼吸のテンポが変わる。これは十中八九起きただろう。だが目が開く様子はない。第二段階もこれでクリアしたと言っていいだろう。
この人の寝起きはあまりいい方ではない。必要に迫られた覚醒ではない場合、しばらくは意地汚く眠りにしがみついていることが多い。疲れているとなればなおさらだ。今夜はいつになく張り切ったので起きたがらないのは当然のことだろう。そうして狸寝入りを決め込んでいるのに気づかない素振りで触れ続ける。
触れるのは左手だけ。そして気をつけなくてはいけないのは触れ方に性的な匂いを醸し出してはいけないということだ。再戦の気配があれば流石のこの人も抗議のために起きてくるだろう。なんだかやたらと触られているが放っておいても害はないか、と判断される範疇にいなくてはいけない。
左手に触れたまま、反対の手で布団の下を探る。そこから引っ張り出してきたのはリボンだ。贈り物の包装に使われる細めのもの。あらかじめこっそりと布団の下に隠しておいたのだ。それを手繰り寄せ、土方さんの指にぐるりと巻き付ける。

「っ」

びく、と巻き付けられた指が震えたのがわかった。……あんた、それで狸寝入りはちょっと無理がありませんかね。
苦しい演技だ。だがそれでもやめる気はないらしい。まあ、このタイミングで目を覚ましにくいというのはわからないでもない。俺からすればどちらでも構わないのでその見え透いた嘘に付き合ってやろうと思う。察しが良くてなによりだ。その方が俺としても都合がいい。
俺がリボンを巻きつけたのは薬指だ。そう、左手の薬指。根本に近い位置にきつくもなく緩くもない絶妙な加減でリボンを巻いた。左手薬指というのは恋愛方面においては特別な意味を持った箇所だ。あまりにも有名なので流石のこの人でも一瞬で思い至ったらしかった。ーーそう、結婚指輪だ。
結婚指輪は一般的に左手薬指に嵌めるものだ。そして、サイズはぴったりでなくてはいけない。だが過半数の人間は自分の指のサイズなど把握していないので計測する必要がある。最も確実なのはプロに計測してもらうことだが、そうすると指輪を購入しようとしていることばバレてしまう。そのため、こうして相手が寝ている時などを狙って紐状のものを巻きつけるという方法でこっそり指のサイズを把握する。メジャーなやり方だ。これでこの人は思っただろう。まさかこいつ、結婚指輪を用意しようとしてるのか、と。
答えは否だ。生憎俺に結婚願望などはないし、というかそもそもこの国の現行の決め事では同性間で結婚することはできない。それを実現するには一時的にこの国を出るなり、この星を出る必要がある。そこまでして結婚なんてものがしたいのか。否だ。結婚自体に憧れなどはないし、土方総悟も沖田十四郎もなんだか借り物のようで、想像するだけで落ち着かない。結婚という契約を結べば益もあるのだろうが、手続きの億劫さに勝るほどではないように思う。この人だって結婚なんて柄じゃないだろう。
それでは何故結婚指輪を用意するような素振りを見せているのか。答えは簡単だ。嫌がらせだ。
俺と結婚だなんて考えたことすらないだろうに、俺だけが乗り気になっているとなればそれはもう困り果てるだろう。どうやって断るか、そもそもどうするべきなのか。そんなことを忙しなく考えているはずだ。それが堪らなく楽しい。だからそのためだけに眠たいところをなんとか起き出してこんな演技をしている。
嫌がらせのための嘘だとはいえ、適当にしていては嘘だとバレかねないので計測自体は真剣に実行した。リボンを巻きつけ、交わった位置に印をつける。それからそのリボンを自分の薬指にも巻いてみた。指の太さはこの人の方が気持ちあるらしく、リボンの印は合わなかった。
ちらりと土方さんの方へ目をやる。どうしていいのかわからないからか、未だに下手くそな狸寝入りを続けていた。動揺しているせいか呼吸が寝ている時のそれじゃない。それは普通にバレるだろうと、そんな考えにすら至らないほどに動揺しているのだとしたら気分がいい。
使い終わったリボンは布団の下に隠し直して二度寝の姿勢に入る。なんとなしに土方さんの胸部へと手をやってみれば皮膚ごしでも心臓がばくばくと暴れているのがわかる。こうなっているのは自分のせいだと思うと気持ちよく二度寝ができそうだった。



  ◇ ◇


嫌がらせはやるなら徹底的にやるべきだ。手間や金に糸目をつけてはいけない。そうでなくては本気だと思われないだろう。本気だと認識されなければ成立しない嫌がらせは往々にあり、今回はそれに当たる。よって指輪の用意にかける金額もそれなりだ。
とはいえ、指輪にいくらかけるのが正解なのかなんて知らない。下を見れば結構安く買えるし、上を見ればキリがない。どうしたものかと悩んだ末、給料三ヶ月分という定番に落ち着いた。あの人に指輪の価格の見当がつくのかは甚だ疑問ではあるが、高そうなものかどうかくらいはわかるだろう。安物を用意する選択肢はなかったのでこのあたりが本気っぽくていいと思う。それを用意してどうしたかといえば、もちろんその指に嵌めるしかないだろう。
狙ったのは前回と同じように疲れて眠り込んでいる夜。一夜過ごした後ならこっそり忍び込む必要もないのでやりやすくていい。こっそりと、気付かれないように左手薬指に通して遅れて自分も眠る。
そして乱暴に起こされたのはまだ夜も明けきらない頃だった。

「……い、ぉい、総悟! おい!」
「……なんでィ、うるせェな」

夜であることに配慮してか、声は潜められている。そういう配慮が残る程度には冷静さは保っているらしいが俺を揺さぶる力が尋常じゃない。揺り起こすにしたってもうちょっと優しくしてくれたっていいだろう。おかげで目を覚まさないわけにもいかなくなった。
土方さんはひどく焦っているようだった。その理由に見当がついているがためにその焦りようが面白く思える。そうやって動転するところを見たかったわけだが、期待以上に狼狽えてくれているので気分がいい。

「なんだこれ!」

ずい、と俺の目の前に突き出したのは左手。手の甲をこちらに向ける形でしっかり見ろと要求してくる。

「何って、あんたの手でしょ」
「ああ、それで俺の手に見覚えのねえもんがあるのはどういうことだ」
「どういうって……そりゃ俺がこっそり嵌めたんだからあんたに覚えがないのは当然でしょうに」

土方さんの苛立ちが募っていくのを感じる。聞き出したいのはこんなことではないのに、俺がのらくらと核心に触れる返答を避けているものだからもどかしいんだろう。俺だって直球で聞いてくれれば直球で返してやるつもりではいる。だがそんな勇気はこの人にはないんだろう。
核心に至るまであともう少しだというのに土方さんは黙り込んでしまった。あともう二、三問答を繰り返せば答えは得られる。だけどきっとこの人だって馬鹿じゃないんだから見当くらいはついているはずだ。それを確かめるのが怖いんだろうか。確かめて、それから自分がどうするべきなのかがわからないのかもしれない。この人はそういう優柔不断というか煮え切らないところがある。おちょくって遊ぶには都合のいい性質なので改善しろなどと言うつもりもない。

「……左手の薬指に指輪。はっきり言わなくても意味くらいわかりませんか」

黙り込んで口を開く気配がないので助け舟を出してやった。いや、この場合は追い打ちだろうか。
本気で結婚しようなんて迫っているわけじゃない。だけど本気だと一時でも信じ込んでもらわなくては釣り合いが取れない。そうだ、本気じゃない。だから手酷く拒否されたって構わない。それも想定内だから俺にダメージが返ってくることはない。
どくどくと心臓の音がやけにうるさいのは仕掛けた悪戯の行く末が気になって仕方がないからだろう。手がいやに冷たいと思うのはあたたかい布団の中から出てしまったからだろう。
土方さんの目が驚愕で見開かれている。口は閉じることを忘れたのか開かれたままで、端的に言って間抜け面だ。だがそれをからかう前に変化した。
眉間に深く皺が寄り、目が眇められる。それは、どういう感情に基づく表情の変化だろうか。観察して確かめるよりも先、手が伸びてきた。
何もついていないまっさらな右手。意図が読めずに対応できずにいれば右手は俺の頭を雑に掻き撫でた。

「……は、なんです?」
「そうだな。わざわざ聞いた俺が野暮だった」

会話が成立していない。そういう独り言っぽいのはいいんで俺の質問に答えろよ。
髪の乱れを気にかけたりはしないが、ただ一方的に撫でられているというのも面白くない。払い除けてやろうとすればその動きを察知下のか実際に払うよりも先に手が引いていく。結局何がしたかったのか。

「考えといてやるから、結論出るまでは持っとくぞ。あ、言っとくが仕事に差し障るから指にはしねえぞ」

それで言いたいことは終わったのか再び横になって布団を被ってしまう。まだ起き出すには少し早いので二度寝を決め込むつもりなんだろう。……って、いや、そうじゃない。
冗談だと、ただの嫌がらせだと言い出すタイミングを逃した。……いいや、別にそんなことは今すぐにだって言える。だけど、なんとなく、そうなんとなく言い出しにくい。言いたくないと思う。それは、嫌がらせを長期化させてもっと最高のタイミングでネタバラシをしたいということだろうか。多分そうだ。そうに違いない。
考えた末、結局ここで真実を告げるのはやめることにした。そうなると俺ももう一度眠ってしまった方がいいだろう。遅れて俺も布団の中に潜り込む。その最中、土方さんの左手がちらりと見えた。
仕事中にはしないと言っていた指輪は今は嵌ったままで、外す素振りもない。むずむずする。このままうっかり外し忘れて衆目に晒されることがあれば面白いだろうか。そう思うがそれを期待してむずむずしている、というわけではどうにもなさそうだった。

Pt950

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