道端できらりと光ったそれをつい拾い上げて、正体に気付いたところで面倒だなと思った。
 指輪だ。それもそこそこ高価なやつ。中央に小さく嵌め込まれている意思は透明がかっていてダイヤのように見える。指輪に詳しいわけではないが、結婚指輪だとかそういう類のものだろうとはすぐに察せた。
 やってしまった。この手のものはたいてい持ち主が落としたことに気付くし探している。そのため、拾得物として手続きしなければならない。それくらいの良識はあある。だが、面倒だとも思う。落としものひとつ処理したところで、せいぜい落とし主から感謝されるくらいのものだろう。ただ仕事が増えただけだ。面倒極まりなくて嫌だ。だが見なかったことにすることも流石にできない。ううん、と唸った末に妙案を思いつく。何も、手続きを自分でやる必要はない。

「土方さん」

 見回りは原則二人一組。今日は土方さんとだ。
 俺が指輪で足を止めたのにも構わず歩き続けているので少し先にその背が見える。軽く駆け、すぐにその背に追いついた。あァ?とか柄の悪い反応があるよりも早く、その手を取る。

「あげます」

 握り込んでいた指輪を無骨な指へ通す。男性用だったのか、薬指にぴたりと嵌った。
 面倒な仕事は押し付けてしまえばいいのだ。適材適所というやつである。俺の得意分野は刀を振ることで、書類仕事ではない。それはこの人だって同じなんだろうが、数をこなしている分慣れているだろう。可愛い部下のために仕事ひとつ肩代わりするのも上司としての役目のうちだと思う。
 とはいえ、怒声が飛んでくるくらいは覚悟していた。仕事を押し付けたことに対しての鬱陶しい小言を流す心の準備をして、だがどういうわけかその瞬間はやってこなかった。
 土方さんは薬指に嵌め込まれた指輪へじっと目をやっていて、反応らしい反応がない。流石に妙だった。

「……土方さん?」

 絡繰でもないのに九にフリーズしてどうしたというのか。訝しげに呼びかければ、ぱっと視線が持ち上がった。絡んだ視線に動揺を見る。

「おまっ、これ……こんな往来で……」
「はあ? そこで拾ったんだから仕方ねェでしょう。やることは同じなんだからどこで渡したって変わりゃしませんし」
「あ?」
「……は?」

 何を責められているのかわからない。仕事を押し付けようとしている点については棚に上げ、なんらおかしなことはしていないと返す。土方さんの眉間に、普段以上の皺が刻み込まれた。

「……そこで拾った?」
「ええ。そういうことなんで後は頼みます」

 ふざけんな自分でやれ、と怒声が飛んできそうなものだが今回はやはりそれはなかった。

「……落とし物。ああ、わかった。手続きしておく」

 やけに従順で物分りが良い。どうにも様子がおかしい。あきらかに安堵もしていてなんなんだと思ったところで遅まきながらに気付いた。
 落とし物を押し付けただけだ。だが誤解を与える余地があった。なんとなく指を通してしまったし、偶然にも無理なく嵌った。アレを自分のために用意したのだと誤解する可能性はある。つまりなんだ。俺が唐突に指輪を持ち出してプロポーズでもしてきたと思ったのか。それなら往来云々の非難も意味が通る。仕事中、人の多いこんな場所でプロポーズはたしかに俺もないなとは思う。いくらムードを重視しない派でももっとマシなシチュエーションがあるだろう。まあ、プロポーズではないのだが。
 勘違いに気付いたからか、指輪は外されて懐へしまい込まれる。勘違いに気を取られて小言はない。その点はラッキーだ。だが勘違いをしていたとわかるとそれはそれで面白くない。何故って、土方さんの反応がひどいものだったからだ。
 人が一世一代のプロポーズをしたというのに微塵も嬉しそうではなかったし、なんなら困ってすらいた。そこは喜び咽び泣いて一も二もなく頷くところだろうが。いやまあ、このひとにそんな可愛らしい反応は求めてはいないが。それにしたってもうちょっとこう……あるだろう。
 ムカつく。愚かな勘違いをしたことを嘲笑う気にもならなかった。そんなに嫌がるというのなら今度こそ本当に「嫌がらせ」をしてやろうではないか。
 気まずいのか黙りこくっている男の隣でそう決意する。元より顔に出る方ではないので密かに計画を練り始めたことを土方が気付く様子はなかった。


   ◇ ◇


 指輪を贈ることで嫌な気持ちにさせられるなら今度こそ本物の指輪を贈って存分に嫌な気持ちになっていただこう。そんな流れで指輪を用意することになったわけだが、早速行き詰まった。指のサイズがわからないのだ。
 指輪は◯号という単位でサイズが分かれている。そのため適当に買えば指に嵌らなかったり、逆に大き過ぎてすぐにすっぽ抜けてしまったりする。だから指輪を用意するにあたり何号が適切なのかを知る必要がある。これが困難を極めた。
 確実なのは本人がショップで来店して店員に計測してもらう方法である。しかし今回は指輪を渡すその瞬間まで何も知らずにいてもらわなくていけないのでその方法は取れない。そうなると俺が測るしかない。だが指にぐるりと巻き尺を巻き付けて堂々と測るわけにもいかない。バレてはいけないのだ。何も気付かせず、秘密裏に行わなくてはいけない。だが指は常に土方さんの手にくっついていて切り離すことはできない。気付かれないというのは至難の技だ。世には同じような悩みを過去に抱えた者がいたようでインターネットにアドバイスは溢れていた。相手が眠っている時にこっそりと測る。これが最もベターな手段であるらしかった。それでいくしかない。だがそれでも懸念がないわけではなかった。
 いくら寝ているとしても、手を取ってごそごそと不審な行動をしていれば起きるかもしれない。俺たちは職業柄、どうしたって一般人よりも気配に敏い。初めてのことでスムーズにできる自信もない。戸惑っているうちに目を覚まして気付かれるのが最悪のパターンだ。それはなんとしても避けなくてはいけない。だから考えて、策を講じた。


 重しを纏っているかのうように全身が気だるい。身じろぎひとつすらも億劫だ。それでもなんとか現在時刻を確認する。もうすっかり夜が更けている。まあ、それくらいはここに留まっていただろうと納得しつつベッドの方を見やった。
 愛を営むためのホテルはその主目的が果たしやすいよう、ベッドも大きなものが用意されている。二人で使うにしてもいささか大きなベッド。その中央を陣取って土方が眠っている。その姿を眺めて、よく眠れるものだなと思う。
 後から被せた布団でほとんど隠れてしまっているが、その身体は汗やら精液やらでべったべたに汚れている。それだけでも不快だが、そのまま放置していれば乾いて張り付いて更に最悪なことになる。そんなことはわかっているだろうに、土方さんは終わるなりそのまま寝た。そんな余力がなかったのだろう。
 水を取って来るかと一瞬離れた隙に寝入っていた。終盤にはもう無理だという抗議さえ失せており、いよいよもって限界だったのだろうと思われる。それはそうだ。なにせ今日は早朝からこの部屋に閉じこもって延々と身体を繋げていた。疲れもするだろう。俺だって疲れた。

「土方さん」

 普通の声量で呼びかけて軽く頬を叩く。普段なら目を覚ますだろうが、全くもって無反応だった。深く眠っている。試しにもう一度呼びかけても結果は同じだった。
 秘密裏に指のサイズを測られなくてはいけない。その目的のために俺が取った選択は、それはもう滅茶苦茶に土方さんを抱き潰すことだった。
 この男がなんだかんだ俺に甘いのは知っている。休みを合わせてこの日は早朝から一日ずっとホテルにいたいんですがとねだれば眉を潜めたものの駄目だとは言わなかった。甘く想定していたというのもあるんだろう。抱き潰す途中、もう無理だのせめて休憩させろだの騒ぎ出したがなだめすかして無視までして、こうして潰してやった。正直俺もかなりきつい。動きたくないし、寝たい。満身創痍の辛勝ではある。
 それでも勝ちは勝ちだ。土方は深く眠っている。このチャンスを逃すわけにはいかない。あらかじめ潜ませていた巻き尺を持ち出し、そっと左手の薬指に巻きつける。この程度では起きないことは確認済みなのにひどく緊張している。巻き尺を手繰ってしまい始めたところで息を詰めていたことに気付く。
 ともあれ、サイズを測るという一歩は無事果たせた。作戦は次の段階へ移行する。次はいよいよ指輪の選定だ。冗談だと思われないよう、ちゃんとこの人に似合うようなシンプルなやつにしてやろう。拒否された時に罪悪感を煽るために傷付く演技も磨いておかなくては。結婚指輪は給料三ヶ月分なんてよく聞くがガチ感を出すためにはやはりそれくらいはかけるべきか。
 考え始めると楽しくなってきてなかなか歯止めがかからない。倦怠感は消えないが、それでも眠気は吹き飛んで後片付けくらいはしておいてやろうかとすら思えた。


  ◇ ◇


 プロポーズといえば夜景のよく見えるレストランで、というが最もベタであろう。仕込むならそれくらいはしたいが、流石にそこまですると誘った時点で勘付かれる恐れがある。普段の俺たちには縁のない場所だ。だから今回は諦めた。何より大切なのは指輪を渡すその瞬間まで一切何も悟らせないことである。
 シチュエーションに拘泥はしない。最低限二人霧であればいつだって良かった。というわけで、結構は仕事終わりに訪れた土方さんの部屋にした。二人の休みが合う日となるとまだ先になる。折角指輪も手元にやって来たのにそんなにあたためておきたくはなかった。

「……なんだ」

 愛しくて可愛い恋人が来訪してきたというのに相変わらず愛想がない。それどころか警戒すら滲んで呆れるしかない。もっと喜べよ土方。……まあ、いつものことなので気にせず本目的を果たすことにする。
 ばりばりに警戒されているので本当はもう少し警戒を解いてからの方がいいんだろう。だが初手でここまで構えられているとなかなか難しいものがある。それに警戒しているというのはそれだけこちらを意識しているのと同義だ。そう考えれば決して悪い状況ではないと思う。だからこのまま結構してしまうことにした。無言で土方さんの左手を取る。眉を潜めはしたが手が振り払われることはなかった。手首のあたりからするすると手を移動させ、薬指を捕らえる。
 懐から取り出した指輪を手早く薬指へと嵌め込んだ。実際指に通すのはこれが初めてだがぴたりと嵌った。素人の計測で大丈夫なものかとやや心配していたのだが杞憂に終わって安堵する。
 じっと指輪へ視線が注がれている。まだ理解が追いついていないのかなんの反応もない。そういえばプロポーズのような文言は考えていなかったなとここに来て思い至る。あくまで主目的は嫌がらせであり、プロポーズではない。だが完成度を考慮するならやはり考えておくべきだったなと思う。
 このシチュエーションで前回動揺に拾い物だと思われては堪らないその線を潰しておくためにも気の重い情報を開示しておいてやることにする。

「ちなみにそれ、俺の給料三ヶ月分です」
「は!!?」

 お、ようやく反応が返ってきた。金銭が絡むと現実に引き戻されるのも早い。

「内側に俺とアンタのイニシャルも入れてます」
「は!?」

 さっきから同じ反応しかないな。目が泳ぎ倒して動揺は伝わってくるのでまあ良しとしよう。

「おまっ、これ……なん、プ、プロポーズ、か……?」
「まあ、捉え方はお好きにどうぞ」
「は!!??」

 流石にうるさくて耳を塞ぐ。動揺のあまり音量調節の方が馬鹿になっているらしい。
 正直なところ、この反応場少しばかり予想とは違っていた。もっと露骨に迷惑そうな顔をすると思っていたのだ。だから泣きの演技だって考えてきたというのに披露する機会もなく終わりそうだ。流石にこの流れで泣くのは強引過ぎるだろう。
 困ってはいる。だが拒否の言葉はなく、指輪を外す素振りもない。

「そ、総悟……」
「受け取り方は任せるんで、返事するしないもお好きにどうぞ」

 泣くより迫るより、突き放した方が困り果てそうだ。そう判断して急遽そちらに舵を切る。実際、そんなことを言われたら困るだろうなと思う。
 気持ちが状況に追いついていないのか土方さんはこれといった言葉を発しない。ただ、目が合った。困惑が隠しきれないそれは迷子になった良さな五のそれに似ている気がする。だが俺は優しいお巡りさんではないので手を差し伸べることはしない。

「じゃ、そういうことで」

 明確に引き止められないのをいいことにさっさとその場を後にしてしまう。
 思っていた結果とは少し違ったが上手くいった。悪戯を疑われなかったのは給料三ヶ月分を叩いたからだろうか。そうだとしたら金をかけて良かったなと思う。これからあの人は何を考えてどうするんだろうか。どうなるにせよ、俺にとってはきっと愉快なことになる。ああ、楽しみだ。
 浮かんだ笑みはきっと清廉とは程遠いものだっただろうが、目撃者がいなかったためにそれを見咎められることはなかった。

瘡蓋

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