土方さんの私室に土方さんがいる。非番なのだからおかしなことではないし、捜す手間が省けたので良いことではある。だがその挙動の逐一に文句をつけるのは最早習慣と化している。意外性も面白みもない場所にいるなあ、などど声には出さずに考えていれば視線がかち合った。元より鋭い目が、訝しげに細められてますます剣呑なものになる。

「出かけついでにシュークリーム買って来たんでひとつどうぞ」

 今日が非番なのはこちらも同じだ。私室に籠って一人でシコシコしていた土方さんと違い、俺は朝から出かけていた。といっても明確に目的があったわけでもない。何か興味関心を引くものはないかと各所を冷やかして回り、程程に満足したところで手土産を買って戻った次第だ。組内でも旨いと話題になっているシュークリームで、俺は優しいので屯所の連中に分け与えてやるためにかなり多めに持ち帰ってきた。それでも全員分とはいかないのでいずれ醜い争奪戦が繰り広げられることだろう。それはそれで見ものではある。
 この人は甘味をそれほど好まない。数が充分にないと言えば他に譲るのは目に見えていた。だからその事実は伏せ、わざわざこうして私室まで持ってきてやった次第である。優しい俺に感激してむせび泣けよ土方。

「……ふたつもいらねえぞ」
「ひとつは俺の分でさァ。ついでにここで食って行こうかと」
「は? 自分の部屋で食えや」
「これ、シュー生地がぱりぱりしてるんで食べかすが落ちるんですよね。自分の部屋、シュークリームで汚すのはちょっと……」
「俺の部屋ならいいとはならねえだろ」
「掃除すんの嫌なんで」
「俺が掃除するのはいいってか」

 当然の抗議ではあるが、想定していた範囲ではあるので聞き流していく。文句ばかり言うくせに俺を追い出す気はないらしい。
 小皿のそれぞれひとつずつシュークリームが乗っている。そのどちらも机上に置き、うちひとつを土方さんの方へ滑らせる。買ってきてまだそう時間も経っていないので生地はまだざくざくとした質感を保っているように見える。なかなかに人気の店のシュークリームで、運が悪ければ売り切れているとということも増えてきたらしい。それに買い求める労力もなしにこうしてありつけるのは幸福であるはずだが、目の前の男にそうした反応はない。まあ、想定の範囲内ではある。元々甘いものをそれほど好まない人だ。諸手を挙げて感激するとは端から思っていない。
 甘味を好んでは食べない。だが全く食べられないという程ではないし、実際目の前にしたシュークリームを拒絶しているという様子もない。それがそもそもおかしないことであるという自覚はあるんだろうか。
 これまで俺は、嫌がらせとしてこの人が口にするものにあらゆるものを仕込んできた。ある時にはデスソース、ある時には下剤だったりといずれも身体に異常をきたすもの達である。時折気まぐれに、幼少期から長い期間そうしてきた。口にするものに異物を仕込んで、この男がまんまとそれに引っかかった回数は両手両足すべての指で数えても足りない。それだというのにこの男が俺から差し出されるものに警戒を示す様子はない。今もすぐに口をつけようとはしないものの、それは単に甘いものが好みではないからだろう。警戒心が足りない。単に頭が弱いだけなのか、それとも俺が致命的な毒を仕込むことはないと舐めてかかっているのか。おそらく前者だが、もしも後者だったらムカつくことこの上ない。
 そんなことを考えていたことでじっと凝視する形になってしまう。当然、この距離で気づかれないわけもない。常から刻まれている眉間の皺がより一層深いものになる。眉が吊り上がり、元より凶悪なその顔つきが更に険を増す。

「なんだ」
「……いえ、別に」

 返答に不自然な間ができた。別に深い意味はない。ないのだが、そう弁解したところで信じはしないだろう。既にその表情には疑念がべったりと張り付いている。ようやくその反応か、という気がしないでもないが。
 疑い、探る視線。それから何かに思い至ったようだった。これまで以上の警戒が滲む。

「お前、まさかまた何か仕込んだんじゃねえだろうな」

 今になってそんなことを言い出すあたり、本当に頭になかったらしい。前者で正解だったのか。仮にそうであったとして、そう訊ねられて素直にそうですと言うわけもないだろうに。

「まさか。そんなことするわけねえでしょう」
「……よく見たらシュークリームに穴が開いてるな。ここから何か仕込んだだろ」
「あのねえ、シュークリームは焼いた後から中にクリーム入れるんです。穴開けなきゃ入れようがねえでしょう」

 疑い始めたらすべてが怪しく見えてくるものだ。普段から好んで食べないものだからそんな基本的なことも知らないらしい。親切に誤解を正してやったというのにそれでも向けられる疑念が止むことはない。俺がしれっとそれらしい嘘をついているとでも思っているんだろうか。
 じ、と疑う目がこちらを窺っている。俺を信じるか信じまいか判断を迷っているのだろう。失礼な話ではあるが身から出た錆であるとも言える。何よりシュークリームひとつでこうまで警戒する様が滑稽で面白いので結論が出るまでその視線に大人しく晒されてやる。

「……それ、お前のと交換しろ」

 迷った末に疑いが完全に晴れることはなかったらしい。それ、と指されたのは俺の目の前に置かれているシュークリームだ。シュークリームに何か仕込んであるとして、当然自分のものには何も仕込まない。俺用と交換してしまえば仮に何か仕込んであったとしても回避できるというわけである。

「どっちも生クリームなんで味は一緒ですよ」
「じゃあ交換しても問題ねえだろ」
「……はあ。まあ、アンタがそれで納得するなら構いやせんが」

 小皿に乗ったシュークリームを土方さんの方へ押しやり、逆に土方さん側のシュークリームをこちらへ引き寄せる。どちらもなんの変哲もないシュークリームだ。
 そこまで疑われているなら先に口をつけて無実を証明するべきだろう。交換したばかりのシュークリームをおもむろに掴み上げてかぶりつく。中にみっしりとクリームが詰められているため、一口目でクリームにまで辿り着くことができた。口に含んだ先から溶け出していくような柔らかさ。クリームが形をなくせば、甘みが溶けて口内に広がっていく。こうしてこのシュークリームを口にするのは初めてだったが、なるほど話題になるのが納得の味だ。
 一口で含んだシュークリームはほどなくしてそのすべてが喉を通って落ちていく。何も仕込まれていないのだから表情は当然変わらない。美味いですよ、と促せば土方さんはようやく目の前のシュークリームを手に取った。
 この人の予想ではここで俺が顔を歪めて苦しむはずだったのだろう。釈然としない、と顔に書いてある。身を張ったおかげもあり、疑いは霧散しているようだった。警戒する様子もなくシュークリームにかじりつく。

「…………ッ、ぐ!?」

 味蕾に味の情報が伝達されたのだろう。齧り付いてからわずかな間を置いて、大きく噎せた。口の中のものを噴き出す醜態こそ辛うじて避けたようではある。だがそれは裏返せばそうなるに至った元凶がまだ中に留まっているということだ。

「ご期待に応えてデスソースを仕込んでみやした。生クリームの甘みで相殺されないかちと心配だったんですがその様子だと杞憂でしたね」
「なっ、おま……ど、ッ、げほっ……」
「俺のと交換したのになんで?とか思ってます? 今回はちょっと趣向を凝らしまして、この展開になるようにそれとなく疑われるように仕向けてみました」

 無警戒に口にして苦しむ姿を嘲笑うのもいいが、毎回それでは芸がない。たまには変化も必要だろうと、少しばかり手間をかけてみた次第である。自分と土方さんの分を明確に分けて持ち込んで、なおかつ何か仕込んでいるのではないかと疑われるような挙動をする。これで望んだ展開に持ち込めるかどうかはやや博打ではあったが、結果は大勝利だ。上手く行き過ぎていっそ心配にすらなってくる。

「アンタが自分で罠にかかりに来てくれないと成立しなかったんですが……どうです、俺の掌の上で弄ばれた気持ち」

 ぎ、と殺意のこもった目が向けられる。口内は未だデスソースに蹂躙されているようで、その口から罵倒が飛び出してくる様子はない。ぜいぜいと荒い息。いくらそうしたところで水で洗い流しでもしない限りその苦しみから逃れることはできないだろう。それでもこの人はこの場からすぐさま逃げ出して水を求めるようなことはしない。矜持の問題だろうか。そういうところは愚かだとは思うが嫌いじゃない。

「お、まえ……まじ、おぼえてろ、よ……」

 喘鳴の合間。殺意を漲らせてどうにかそれだけの言葉を紡ぐ。そんな恨み言を口にするくせに、具体的なことまでは何も考えてはいないんだろう。長年の付き合いだけあって、思考が手に取るように読める。愚かだ。だがそうでなくては面白くない。

「涙目で言われても面白いだけなんですが」

 こんなことがあっても、きっとこの人は俺が差し出したものをまた口にするんだろう。何故なのか。愚かだからだと先ほどは結論付けたが、はたして本当にそれだけだろうか。
 思考があまり良くない方向に傾きかけていることに気づいて慌てて断ち切る。この一連の行為に深い意味はない。俺は面白いからこうして土方さんをおちょくっているし、土方さんは単純で学習能力がないので毎回同じ手に引っかかっている。それだけのことだ。今回は面白いくらいに計画通りに進んだので良かった。次はどうしようか。そう考え始めるとさっきまでの嫌な思考は霧散していく。
 気分がいいので水でも持って来てやろうか。そう提案した時の土方さんの反応も含めて、それは悪くない選択のように思えた。

シュー・ア・ラ・クレーム

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