※R18


 屯所の玄関先が騒がしくなったことによって捕物部隊の帰還を知る。無事終わった報告はあったのでそろそろ戻ってくる頃合いだとは思っていた。
 今回は沖田が陣頭指揮を取る形で部下を何名か連れての捕物だった。報告がなかったので重傷者はいないだろうが、軽微な負傷を隠している奴がいないとも言い切れない。その確認も兼ねて、出迎えに向かう。
 そこで目にしたのは面白仮装集団だった。

「……おい、ハロウィンは今日じゃねえぞ」

 幸い、捕物に出た連中に怪我はないようだった。それは何よりだが、その出で立ちが出立した時とあきらかに異なっていた。ある者は頭上から猫耳が生え、ある者はその身体の後ろから尻尾が覗いている。手が猫のそれにようにけむくらじゃらになり肉球がくっついている者もいる。耳や尻尾はどういう仕組か、まるで生きているかのように動いていた。

「テメーら、帰りにドンキにでも寄ったのか」

 返り血どろどろで、その格好だけでも一般市民からすればハロウィンのようなものだろう。そんな格好で寄り道して評判下げるほど馬鹿な奴らじゃないと思っていたんだが……いや、どうだろう。この珍妙な格好を見てると自信がなくなってきた。しかもそれぞれ何かしら一部分しか仮想してないのはどういうわけなんだ。仮装グッズ一個だけ買って分け合ってんのか。そこまでして仮装したいのか。せめてハロウィンにやれ。

「ち、違うんですよ副長〜」

 呆れ返っている俺に異を唱えたのは山崎だ。こいつも捕物に出ていた一人で、例に漏れず中途半端な仮装をしている。頬から猫の髭が何本も生えている。いや、それはこの集団の中にいないと猫だと思われねえだろ。なんで髭チョイスした?

「何が違うんだ。髭なんぞつけて面白集団になりやがって」
「あ、ちょっ、これ感覚繋がってるんで……あだだだだ!」

 髭の一本を摘んで引っ張れば皮膚も一緒に引っ張られる。髭が抜け落ちる気配はなく、山崎は痛みに声を上げる。力を込めて引っ張ってみても髭は抜けない。……どんだけ強力に接着してんだ。それ、取れるんだろうな?

「遊んでるんじゃないんですよ! 天人のせいで猫っぽくなっとるんです!」
「……あァ?」

 何を言い出すのか。ツッコミ待ちかと思いきや、周りの奴らも無言で頷いてこいつの話を肯定してくる。まさか全員で俺をだまくらかそうって魂胆か。そこまで考えたところでそういえば今回の指揮は沖田がとっていたことを思い出す。あいつならこの状況を把握しているだろう。主犯という可能性も充分にありえる。どちらにせよ話を聞く必要はある。
 さて、沖田はどこにいるのか。視線を巡らせて捜してみれば沖田は戸口近く、戸で身を隠すようにしてそこにいた。一見する限り、他の連中のように中途半端な仮装をしている様子はない。しかしこういうおふざけにこの男が乗らないとは考えにくかった。だが、そうだとすれば誰よりも先に俺を騙そうとしてくるんじゃないだろうか。一向にその様子がないのは不自然だった。

「マジなのかふざけてんのか知らねえが説明しろ」

 ふざけている場合陣頭指揮は間違いなくこいつが取っているだろうし、マジな場合も報告義務があるのは今回の責任者である沖田の役目だろう。どちらにせよこいつからの話は聞かなくてはいけない。沖田の眉間に皺が寄る。

「……」
「オイ。堂々と無視かコラ」
「……」

 じとりと睨まれはしたがそれだけだ。沖田は一言も発さない。睨みたいのは俺の方だと思いつつ、違和感が上回る。何故喋らない。

「あ、あの副長。説明なら俺がしますんで沖田隊長は今ちょっと喋れないというか、」
「んなぁお〜」

 割り込んできた山崎の言葉を追及するよりも先、猫が鳴いた。……いや、猫なんてここにはいないだろ。だが確かに近くで聞こえた。どこからか。鳴き声のした方向を探る。蘇芳色の大きな瞳とかち合った。

「に゛ゃ」

 沖田の口から、猫そのものとしか思えない声が発された。表情からして「何見てんだコラ」とでも言いたげではある。

「沖田隊長は声がやられて猫みたいにしか喋れないんですよ」
「……あ?」

 全くもって理解が追いつかない。だが他の奴らもうんうんと頷くばかりで異議を唱えない。まだ全員で俺を騙そうとしている線は消せないが、演技にしてはうますぎる気がする。……マジか? マジなのか?
 判断を下しかねて、再度沖田の方を見る。あちらもこっちを見ていたのか目はすぐに合った。

「な〜う」

 不機嫌そうに沖田が鳴く。完璧に猫のそれで、一気に信じる方へと傾いてしまった。



   ◇ ◇



 沖田達に任せていたのはとある天人達の捕縛だ。猫によく似た外見をした彼らは少子化が進み、このままでは種が絶えかねないというところまで来ているらしい。そこで彼らが考えたのは地球人を作り変えて己の種族にしてしまおうというものだった。そのための研究は完了間近で、その情報を掴んだ幕府が計画阻止のための真選組を送り込んだ。

「それで、現場で未完成の薬品もろに食らって部分的に猫っぽくなってるってことか?」
「にゃう」
「そうかー。困ったなー」
「にゃにゃにゃ……」
「ん? いやいや、怪我がなくて良かった。誰にでも失敗はあるさ。気にするな」
「なんでアンタは普通に会話できてんだよ」

 報告を受けた当初は近藤さんもかなり動揺していたものの、今ではすっかり適応して何故か沖田と普通にコミュニケーションを取っている。

「顔見てればなんとなく言いたいことはわかるだろ」
「そうか……?」

 発言のニュアンスがわかることはあるが、表情で判断するのは結構難しいように思う。こいつは元々表情の変化が乏しい。淡々と攻撃性をあらわにしてくるので判別は困難だ。近藤さんに対してそういった言動をとることがあまりないのでこの人はなんとなくでも交流ができるのかもしれない。

「しかし、なんとなくはわかるにしても言葉がわからんってのは不便だな」

 あれから症状が出ている全員に検査を受けさせたがいずれも異常はなし。元に戻す薬があるわけでもなく、自然に効果が切れるのを待つしかない状況らしい。幸い、引っ被った薬が未完成品であったために効果が永続的に続くことはないそうだが、どれくらい続くのかはわからないとのことだ。身体の一部が猫化すると症状のため、おおよその隊士は業務に支障はないが沖田含めごく一部はかなりの不便を強いられている。沖田以外だと両手が猫のそれになってしまったので刀を握れず仕事にならない奴や、必要とされる睡眠時間が猫のそれとなってしまったために人間の標準睡眠時間では足りずに舟を漕ぐ者などなど。沖田は支障が出ている者の中では比較的被害は軽いが、いざという時に言葉が通じないのはやはり不便だ。状況次第では命に関わる。

「俺としてはこいつも症状が消えるまで療養させておくべきだと思うんだが」
「ううう、おぉう」
「うるせえ。言葉が通じねえと危ねえだろうが」

 療養を提案した瞬間に抗議の鳴き声だ。うるさい。猫ってのはもうちょっと可愛らしくにゃーとか鳴くもんじゃねえのか。重低音で抗議してくんな。

「ははは、トシもわかってるじゃないか」
「何言ってんのかまではわかんねえよ」

 不満を感じているというのは声音だけでも充分にわかる。日頃のささいなやり取りだけならそれでもいいのかもしれないが、仕事でこれではやはり困る。筆談をすれば意思疎通はできるのだが、いざという時に筆談というのは現実的ではない。

「だがこれ以上人員が減るのはしんどいしなあ。…………あ、確かあれがあったはず……」
「近藤さん?」

 言うなり俺達から距離を取り、ごそごそと私物を漁り始める。何があるのか知らないが、そのあたりに転がっているガラクタで状況が改善するとは思えない。だが何か案があるなら聞くだけは聞いてみよう。沖田も同じように思っているのかは知らないがこちらも口を挟むことなく近藤さんの動向を見守っている。
 ここでもないあそこか、などと独り言を繰り返しながら私物を漁り続けていたがやがてめあてのものを見つけ出したらしい。その達成感のままに振り上げられた手には何かが握り込まれている。そしてそれは俺達の前へと突き出された。

「じゃーん、『にゃんじこりゃああ!!』」

 某猫型絡繰の声真似付きだった。
 手の中にあるのは猫の顔の形をした小さな玩具だ。中央に液晶画面がついており、その下部にボタンがひとつだけという簡素な作りになっている。

「なんでも猫の鳴き声を人間の言葉に翻訳してくれるらしい。商店街の福引きで当たった」
「そりゃあまた胡散臭えものを……」
「んにゃ」

 呆れを含んだ鳴き声はおそらく俺に賛同しているんだろう。手にとってみたそれは絡繰にしてはやけに軽い。そのへんで何百円単位で売っていそうなチープな印象を受けた。こんなもので猫の言葉の翻訳が本当にできるものだろうか。というか猫っぽいだけで厳密にはこいつは猫になっているわけではないので適応されるんだろうか。

「……ちなみにこれ使ったことあんのか」
「猫に出くわしたら使おうと思ってたんだがなかなか機会がなくてなあ。とりあえずしまいこんでるうちに忘れてた」

 つまり未使用、と。精度が全くわからないのか。だがまあ、駄目で元々だ。多少でも翻訳機としての機能を果たしてくれるのなら導入するのもありかもしれない。

「そこのボタンを押してる間は周りの猫の声を拾って自動で翻訳してくれるらしいぞ」

 ボタンは一度押すと押し込まれたまま戻って来ない。そしてもう一度押すと元の状態に戻るという仕組みになっている。つまり一度ONにしておけばOFFにしない限りは勝手に翻訳し続けてくれるということか。こんなものが翻訳機だなんて信じちゃいないが、試すくらいはしたっていいだろう。

「ほら、なんか喋ってみろ」

 ボタンを押し込んで、翻訳機を沖田へ向ける。本当にそんな胡散臭いものを試すのか、と言わんばかりの目を向けられた。だが黙殺していると沖田は渋々「にゃう」と一声だけ鳴いた。その声を拾って翻訳機がぴろんと軽い音を立てる。液晶画面になにか文字が表示されたのを三人揃って覗き込んだ。
 手のひらにおさまるサイズのそれに埋め込まれている液晶画面は決して大きくはない。そのために多くの文字を一度に表示することはできず、文字は右から左へと流れていく。

『いつもたくさん働いてるから長期休暇にしてくれてもいいと思う』

「あ?」
「おっ」

 いかにも沖田が言いそうな文言が表示された。本当にそんな意味を込めて鳴いたのか。沖田の方を見れば奴はぱちぱちと大きな目を瞬かせながら頷いた。きちんと発言が翻訳されたことに驚いているらしい。

「んにゃ」

『子供だましの玩具かと思ってたのにしっかりしてますね』

 流石に普段の口調までは翻訳に反映されないらしい。状況的にも性格的にも、いかにも沖田が言いそうなことだ。それに本人が翻訳された文言を見ても否定する素振りがない。これは本当にきちんと翻訳されているのかもしれない。

「おっ、ほんとに使えた?」
「そうみたいだな」

 安っぽい作りでそれっぽいだけの玩具だと思っていたが案外正確に機能するらしい。しかしそうなると今の沖田は猫だと認識されているわけだが、どういうことなんだろうか。あくまで被った薬剤の効果は猫に酷似した天人に作り変えられるというもので猫になるわけじゃない。薬は未完成だったそうだから地球の猫に寄ったとでもいうのか。わからん。そのあたりはまったくもって門外漢なので推測すらも難しい。まあ、なんにせよ全く期待していなかった翻訳機が使えそうなのは収穫だ。問題はこの翻訳機がひとつしかなく、誰が持っておくかということになるわけだが、

「とりあえず今日はトシが持ってればいいんじゃねえの? 総悟と勤務被ってるだろ」

 真選組の勤務はシフト制で、どんな内容であれ安全上二人以上でシフトが組まれている。

「これ、どこかで数調達できないか探してみるからひとまずはこれだけで凌いでくれ」

 翻訳機を介しての会話というのもなかなかに手間ではある。緊急時に使えるとは思えないが、筆談よりはマシか。ないよりはいいのかもしれない。

「総悟も、ひとまずそれでいいな?」
「にゃ」

 これは翻訳するまでもなく同意だろう。こんな感じでなんとなくの意思がわかることもあるが、細かいニュアンスとなると言語無しでは少々きつい。異論がなかったということは沖田も同じように感じているんだろう。どこまでやれるかはわからないが、ひとまずはこれでやり過ごせるか試してみよう。
 そう思っていたのは程度の差はあれど全員共通のはずだ。だからどう足掻いてもこれからの展開を回避することはできなかったのだ。そう訴えたところで、沖田はきっと納得はしないだろうが。


  ◇ ◇


 にゃんじゃこりゃああ、こと猫専用翻訳機はことのほか優秀だった。細かなニュアンスこそ正確に訳せないものの、大筋の意味は理解できる。だがそのざっくばらんな翻訳が問題になるのはすぐのことだった。

「んに〜」

 沖田が腕を軽く小突いてくる。翻訳機を使って何か伝えたい時にはこうして要求をしてくるようになった。それならはじめから沖田が持っておけばいい気もするのだが、翻訳機は翻訳して画面が消えるまでがやけに早い。翻訳された直後に画面をそのまま覗き込むのが一番確実ということで結構こちらで所持したままになっている。

「……ん」

 多少手間ではあるがこの手段が最短の意思疎通方法なのは間違いがない。比較的すぐに取り出せるように内ポケットに収納して携帯しているのでもうこの動きも慣れたものだ。電源を入れて沖田の方に突きつけてやれば「な~」と鳴く。本当に猫が鳴いているのかと思うようなリアルな鳴き声だ。何度か沖田の鳴き声を聞いていてわかったのはテンプレート的な「にゃー」は意外と出てこないということだろうか。こいつが意識的にそうしているのか、そもそも猫とはそういうものなのかはわからないが。
 沖田の鳴き声を翻訳機が認識し、人間の言語に変換していく。ぴ、という小さな電子音がそれが終わった合図だ。さて、こいつは一体何を伝えたかったんだろうか。どうせろくなことじゃないだろうが、と思いつつも画面へ目をやる。翻訳機がおおよそ思った通りの言葉を訳してくれるのは経験でわかっているので画面を見もしない。仕方がないので己だけで表示されている文字。を確認する。

「………………あ?」

 たっぷりの沈黙と、ようよう吐いた母音ひとつ。翻訳機に表示されていた文字列はとてもこいつが意図的に発したとは思えない内容だった。なにか別の読み取り方があるのか、なんらか込められていた皮肉を読み取り損ねたのか。なんにせよ先ほどの翻訳結果をそのまま受け取るべきではないだろう。

「おい、総悟」

 なにか様子がおかしいことはわかっていたようで呼ぶと素直に寄ってくる。

「もう一回、同じ内容で喋ってみろ」

 何がしたいんだこいつは、みたいな目で見てくるな。別に表示されていた文字を見損ねたわけじゃない。何かがおかしいことはこいつもわかっている。だが何がどうおかしいのかまでは理解が至っていないようで、訝しみながら同じように鳴く。なー、とひと鳴き。たったそれだけに翻訳されるだけの情報が本当に詰め込まれているのだとしたら人間よりも猫の方が言語能力という意味では優秀なのではないか。そんな詮無いことを考えながら翻訳が終るのを待つ。
 ぴ、と程なくして翻訳完了を知らせる音が鳴る。今回の表示内容は沖田にも確認をさせるつもりだったが、促すまでもなく沖田も画面を覗き込んでくる。先ほどは画面を見て俺の反応がおかしかったのでここを確認すべきだと考えるのは自然なことだろう。こちらとしても願ってもないことなので一緒に翻訳画面を覗き込む。

『貴方と少しでも長く一緒にいたいのでお昼ごはんを一緒に食べたいです』

 ちょうど昼時だ。昼食を食べたいというのはわかるし、それだけならいかにもこいつが言い出しそうなことではある。だが前半に差し込まれている文面はこちうが素面で発するとはとても思えない。こいつとの関係性を考えるとこういった発言自体はあってもおかしくはないわけだが、こういう歯の根が浮くような発言はお互いにすることが滅多にない。嫌がらせだとしてももっとタイミングを選んでやるだろう。

「……」
「……多少言い回しが変わってるがさっきも同じような内容で出てたぞ」

 嫌がらせ説は沖田の反応からしてないだろうと判断した。苦虫を噛み潰した顔、というのはこういう表情のことを言うんだろう。
 沖田の手がぬっと伸びてきて翻訳機の文字を消す。誤訳が表示されていることが我慢ならなかったのか。翻訳機自体は手にしたまま好きに操作させていると沖田は再び翻訳機を作動させる。そしてひと鳴き。翻訳機がそれを読み込んで翻訳していく。

『貴方と長くいたいのは本当ですがそれを知られてしまうのは恥ずかしいです』

 そう翻訳表示されるかされないかというタイミングで翻訳機が奪われた。それから渾身の力で地面に叩きつけられる。翻訳機の上部につけられている猫耳パーツが衝撃に耐えられずに砕けたのが見えた。

「うおっ、危ねえ! 何しやがる!」
「う゛う゛ぅ~!!」

 唸るような威嚇だ。何を言っているのかまではわからないが機嫌が悪いことは確かだろう。思ってもいない誤訳をされてムカついたといったところか。これまでは何事もなく使えていたのだが、誤訳が発生するのなら通常使いするわけにはいかないだろう。ジョークグッズのわりにはよく機能してくれていたとは思うが。
 もう役に立たないと言うなら捨ててもいいが、流石に道端に放り投げておくのは駄目だろう。人目があるし、幕臣が公道にポイ捨てなんて記事にされても面倒だ。今後どうするにせよ、今は拾うべきだ。そういうわけで俺は決して今後もこの翻訳機を使い続けていこうと思っているわけではない。だから拾い上げた途端に非難の目を送ってくるのはやめろ。

「捨てるにしたってここに捨てるわけにはいかねえだろ。…………あー、昼時だし飯食いに行くか」

 どこまでが沖田の意図通りの翻訳だったのかはさておき、昼食をとるべき時間帯なのは間違いがない。腹が満たさされば少しは苛立ちもおさまるだろう。苛立ちをこれ以上こちらに向けられないためのその場しのぎの発言ではあった。だが口にしてみると存外悪くないように思う。

「……」

 この提案に乗るのは誤魔化されているようで気に入らないのか沖田はすぐには頷かなかった。だが感情面に反して身体は正直なようでぐうと腹の虫が鳴る。
 身体からの抗議には勝てなかったようで渋々俺の提案に頷いてみせた。そこからはおおよそこちらの狙い通りに満腹と比例して機嫌も治っていった。昼飯代は当然のように俺の奢りになったわけだがそれはよくあることなので今回は抗議せず流しておいてやることにした。


   ◇ ◇



 ジョークグッズの猫言語翻訳機「にゃんじゃこりゃあああ」の誤訳に関して結論から言うと、厳密にはあれは誤訳ではなかった。後日近藤さんが製造先に問い合わせたのだが返答はこうだった。


『この度は弊社商品にお問い合わせいただき、誠にありがとうございます。お問い合わせいただいた「あきらかに意図していない内容が翻訳結果として表示される」という問題に関して回答させていただきます。本商品の翻訳機能はできる限りの技術を用いて精度を高めていますが誤訳が発生することがございます。お客様に多大なる迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません。また、弊システムは深層からの意思を汲み取ることに長けているため一見すると誤訳のような内容が表示されることもございます。何卒ご了承ください。……』


 あの時何が起こったのかは近藤さんにも伝えてある。そして製造元と直接やりとりをしたのも近藤さんで、この返答も当然目を通している。その上でなんの気もなしに口から出た発言だったのだろう。だがそれは爆弾と言ってもよかった。

「つまりちょっと素直に翻訳され過ぎたってことじゃないのか?」

 よりにもよって沖田もいる場で、さらりと言った。場の空気が凍った気がしたのは俺の勘違いではないと思う。沖田は表情を作り損ねて『無』だ。無の状態でただ近藤さんの方を見ている。怖い。あきらかに不穏なわけだが向けられている近藤さんがそれに気づく様子はなく、思ったことをそのまま口にし続ける。

「だってなあ、総悟はトシのこと好きだろ? 他の奴とだと昼飯別にとることもあるけどトシとはだいたい一緒だよな。一緒にいたいから昼飯一緒にどうかって誘うのは言われてみりゃ普通のことなんだよな」

「こ、近藤さん……」

 弱々しい制止は全くもって伝わらない。『無』が少しずつ禍々しさを放っているのがわかる。それが真実であるかどうかはさておき、これ以上は言及すべきではないように思う。だが近藤さんは察してくれない。アンタが女にモテないのはそういうところだと思うぞ。

「なっ、総悟! 伝えたかった内容とちょっと違ってただけで間違ってたわけじゃないだろ?」

 恐れを知らないゴリラがあろうことか本人に確認を始める始末。アンタ、あいつの周りのオーラがどす黒くなってんの見えねえのか。ああいうのはだいたい矛先がこっち向くんだから刺激するのはやめてくれ。
 いっそそう直接伝えられればいいがそんな直球で咎めればそれはそれで沖田の機嫌を損ねるだろうし、いよいよ矛先がこちらに向くのが確定事項になる。だからここでの最善はできるだけ息を潜めて存在を殺すことだ。そんなことをしたところで沖田は俺の存在を忘れてはくれないだろうが。
 沖田はなんと答えるつもりなのか。近藤さん相手に無視はないだろう。嘘をついたり誤魔化すというのも近藤さん相手であることを考えると微妙な線だ。かといって俺がいる場で馬鹿正直に肯定もないだろう。すべての可能性が潰されているように感じる。どう答えたところで傷を負うことは避けられない。それならば少しでも傷の浅くなる返答をするのだろうが、それがどれなのかもよくわからない。息を殺して、じっと沖田の動向を見守る。
 『無』だった表情がわずかに動いて、首を縦に一度振った。…………は?はっ!?
 ここで日頃の沖田の俺へ対する態度について振り返っておきたい。沖田は俺のことを基本的に気に食わない存在だとしており、排するための武力行使すらも日常的に行う。それほどの毛嫌いっぷりなので好意の表明というのは嫌がらせの一環として行われるものが九割九分九厘だ。そんな男があっさりと認めた。俺に対する好意を。
 言葉を伝える手段が乏しい、というのは言い訳にはならない。そんなものはメールにでもしたためればいい話で、紙や筆も探せばそのあたりにある。そうした行動が億劫だったのだとしても、それなら首を横に振って否定すればよかっただけの話だろう。肯定はまずないだろうと思っていた。だが実際のところはあっさりと肯定して見せた。何故だ。俺がいることを忘れているわけでもないだろう、にーーーー目が合った。

「っ!!」

 やはり俺のことを忘れているわけではなかった。沖田からすれば決して俺に聞かれたい内容ではないだろうに、動じた様子はない。それどこか穏やかに笑みを深めて見せる。ぞわ、と肌が総毛立つのがわかった。
 経験からわかる。こいつは何か企んでいる。だが真っ向からそう問い詰めたところで吐きはしないだろう。そもそも近藤さんの前でそんなことはできない。俺が警戒を深めたことだってわかっているだろうに、なおも笑う。愉快そうに。

「そういうことならにゃんじゃこりゃああは継続でいいんじゃないか? あ、でも言うつもりないことまで伝わるってのはちょっと恥ずかしいよな。何か別の手を考えるか……」

 うんうんと悩んでいるところに加わってやりたいがそれどころではない。こいつは何を考えている。翻訳機はまだ俺の手にある。こいつがひと鳴きでもしてくれれば何を考えているのかわかりそうなものだ。だがそれを警戒しているのか沖田は結局一言も発することはなく、代替えの意思疎通方法も目新しいものが出てくることもなかった。


   ◇ ◇


 沖田の企み。その答え合わせはその日の夜に強制的にさせられた。
 皆が寝静まった深夜。ずしりと腹部あたりにかかった重みで意識が浮上した。

「総悟…………何してやがる」

 すわ敵襲かと身構えたのは一瞬のことで、見知った顔に気が抜けた。抜けたところで油断していい相手ではないだろうと思い直して身構え直す。だが無理矢理覚醒させられたせいで頭の動きがまだ鈍いように思う。とりあえず身を起こそうとして、手が不自由なことに気づいた。見れば手首が縄でひとくくりにされて胸の上に置かれている。力を入れれば緩んで解けないだろうかと試してみたがびくともしなかった。こんなにがっちりと縛り上げられているのに今の今まで眠っていたのか。いくら屯所だとはいえ、気が抜け過ぎている。
 沖田が何を思ってこんな夜更けに奇襲をかけていているのかがわからない。手がかりでもないかと様子を窺う。風呂にはもう入っているようで、着流し一枚を身に着けただけの楽な出で立ちをしている。血のにおいはしない。一見した限り正気に見えるがどうだろう。見た限りの印象だけで判断するのは早計なように思う。沖田総悟という男は浅いようでいて深く、深いようで浅いところがある。
 沖田は値踏みをするかの如くこちらをじっと見つめた後、懐から携帯を取り出した。かこかことボタンを押し込んでそれから画面をこちらにずいと突き出す。

『例の翻訳機、まだ持ってます?』

 こちらの問いへの返答ではなく、別の問いを向けてきた。問うより答える方が先だろうが。そう言いたいのを堪える。ムカつきはするが、何故このタイミングでそんなことをたずねてくるのか、という方が気にかかる。

「そこの引き出しにしまってある」

 ぴ、と引き出しを指さして見せると沖田がぐんと上半身を伸ばしてその引き出しに手をかける。俺にのしかかったまま翻訳機を引っ張り出し、そして戻ってきた。わずかに減っていた重みが戻ってくる。ぐ、と小さく埋めていると翻訳機を握らされる。何がしたいのかわからないが、嫌な予感だけはしっかりとする。

「おい、とりあえず縄外せ。今やめるなら怒らないでおいてやるから」

 優しく、下手に出ての交渉は成立しなかった。聞こえていないわけではないだろうに、沖田は一瞥さえもしない。俺が怒ろうが怒るまいがこいつからすればたいした違いはないんだろう。よって交渉の材料としては弱い。それはわかるが、交渉材料に切れるものがない。何をするつもりかは知らないがどうせろくなことじゃないだろう。手を縛られている上にマウントを取られているとなると力づくでどうにかするのは難しい。なんとか交渉に持ち込めないか。考え込んでいると、眼前に携帯電話を突き出された。
 沖田の携帯。メール画面のようで画面いっぱいに文字が並んでいる。これらを打ち込んでいる様子がなかったことからして事前に用意しておいたものだろう。わかっていたが計画的な犯行だ。読め、ということだろうか。思惑に乗るようで面白くはないが、読めば意図くらいはわかるかもしれない。

『認めるのは癪ですがこの翻訳機の言うことはだいたい正しいです。勝手に内面まで見られたみたいでムカつくんでアンタにも相応の恥を味わってもらうことにしました』

 理不尽すぎるだろ。翻訳機が言うつもりのなかったところまで翻訳してしまったのは事故で、その結果を見てしまった俺も言わば被害者だ。責められるいわれはない。だが理不尽に俺を責めたい気持ちはわからなくもないので罵倒のひとつやふたつくらいなら受けてやってもいいと思う。だがこの状況を見る限り、そういう可愛らしい感じでは済みそうもない。そうなると抵抗一択だ。
 まだ作成された文章は終わりではなかったらしく、スクロールされていく。ここから俺にとっていい展開にはまず運ばないだろうが、それでも目を通さないわけにはいかない。全く納得のいかない動機であったとしてもこいつがこれから具体的にどうしようとしているのかくらいは把握しておきたい。身構えることで少なくとも精神的には多少なりともダメージは抑えられるだろう。いや、ここから抜け出すことを
諦めたわけではないが。

『これからあんたを抱くんでその翻訳機にどんな言葉が表示されるかよく見ててください。俺に愛を囁かれ続けるの、想像するだけでぞっとするでしょう?』
「!?」

 まじまじと沖田の顔を見るが奴は至って平然としている。こいつの予想は正しい。愛を告げるなんてそもそも二人揃って柄じゃない。その自覚があるから普段はできる限りそういう言い回しを避けている節すらある。現在交際中の相手に対してその反応はいかがなものかと思うが今更こいつに好きだの愛してるだの言われたところで怖気を覚えるのは明らかだ。もはやそれは嫌がらせの域だ。

『ねえ、土方さん。あんたも俺と同じ分だけ苦しんでください』

 沖田総悟は異常だ。自分が同じかそれ以上苦しむとしても、結果として俺を苦しめられるなら躊躇なくその選択をする。過去にもそういうことはあった。だから今回も同じだ。普段頑なに伝えない『愛』が筒抜けに伝わってしまうなどこいつにとってもよほど耐え難いことだろうに、八つ当たりのために更に苦しむ選択をしている。その俺を困らせることに対する異様な熱意はなんなんだ。今に始まったことでもないが何度向けられても理解ができない。普通に怖い。
 そんなことをしたって過去はなかったことにはならないしお前にとっても苦しいことだろうからやめておけ。そんな月並みな説得をしたところでこの男が折れないことはわかっている。だから説得するならなにか別の方向性でーーー。

「残念だが無理だ。そんな予定なかったからなんの準備もしてねえ」

 男同士での性交というのは男女のそれよりも下準備に時間がかかる。排泄器官を使うのだから中を綺麗にしておかなくてはいけない。いくら苦しむのを厭わないといっても汚物にまみれるのはこいつだって嫌だろう。仕切り直しになるのならそれでよし、別の場所で洗浄をする流れになっても逃げ出すチャンスができるはずだ。どちらにせよ条件が揃っていないのだからここで無理やり俺を抱くなんてことはできないはずーーー携帯が、ずいと突き付けられた。画面にはそれなりに文字が表示されているがこいつが入力する素振りはなかった。つまり、この逃げは想定されていた……?

『挿れる気はないんで安心してくだせェ。ココ使うんで』

 ココとはどこだ。文字を追ってそう疑問を抱いたところで沖田の手が脚を撫でる。それを理解ができてしまった。それはアレだ。素股か。時間がないが発散はしたい時に取る手法だ。満足感という意味ではやや劣るが、手軽だ。そして確かにそれなら尻の穴を綺麗にしておく必要はない。

「いいい、いや待て。いくら夜だっつても人が通るかもしれねえだろ」
『あんたが静かにしてりゃ筋トレでもしてると思われるだけですよ。それとも淫乱な土方さんは喘ぐのを我慢する自信がないんで?』

 流石にこれは想定外のやり取りだったのかその場で文章を作り上げた。現代っ子だけあってその速度は凄まじく、その隙に逃げ出すことはできなかった。というか、筆談でも煽ってくるのかよ。後半の文章別になくても成立するだろ。
 ここで「んなわけねえだろ」とでも返せば売り言葉に買い言葉でこいつの思う通りの展開に持っていかれる。わかってはいるが言い返したくてたまらない。誰が淫乱だ。たしかに静かにしてりゃわざわざ訪ねてくる奴もいないだろうから通りがかったところで筋トレ程度に思われるかもしれんがそもそも職場でもあの場所でこういうことをするのは倫理的にどうかとーー

『翻訳機、常に動かしておいてくださいね。俺の言ってること翻訳しなかったり読まなかったりしたらハメ撮りするんで』
「!!」

 おぞましい発言がさらりと飛び出した。ハメ撮りなんかして何が楽しいんだ、と言いたいところだがこいつは楽しいかどうかで言っているわけじゃない。それを俺が嫌がるのを確実にわかった上で言っている。こいつにハメ撮りなんてされたらそのデータをどう扱われるのか。最悪インターネットの海に放流される危険性すらある。そんなことをされたら俺の何もかもが終わる。本気で足蹴にすればなんとかなるかもしれないがそれぐらいの反撃は予測されている可能性が高い。それにハメ撮りなんてものは一枚撮られただけで終わりだ。こいつなら本当にやりかねない。確実に撮られる前に逃げられる保証がない。この条件下ではこれ以上ない脅しだろう。どこまで本気なのかはこいつにしかわからないが、抵抗する気力がかなり削がれたのはむかつくことに否定ができない。
 要するに、素股をしてこいつが満足するまで耐えていればいいわけだ。それでこいつは引き下がるだろう。反応をできるだけ殺して、どんな翻訳結果が表示されても動じない。それくらいのこと、できるはずだ。下手に抵抗すれば逃げられないだけではなく周りに気づかれる可能性も跳ね上がる。それはなんとしても避けたい。そうなると癪ではあるがおとなしくしているのが最善だ。

「……わかった。好きにしろ。どうせこれじゃろくな抵抗もできねえしな」

 その返答に満足したのか沖田は手にしていた携帯を懐にしまい込む。あれを奪う……のは縛られた手では難しそうだ。それに他の撮影機器を持っていないとも限らない。

「にゃあ」
「!」

 早々に沖田は鳴いた。そしてその視線は翻訳機に向けられる。読め、とその目が言っている。どうせ俺にとっていい展開は待っっていないのだから見たくない。だが適当に見た振りができるような演技力はないし、さっさと読めという言外の圧も凄まじしい。とどめに翻訳終了を告げる軽い電子音。……くそ! 見りゃいいんだろ!
 投げやりな気持ちで翻訳機の画面へ目をやって、そこに表示されている文字を見る。

『緊張してる時も可愛くて好きですよ』
「いっ…!」

 悲鳴を寸前で押し込めたことは評価されるべきなんじゃないだろうか。甘く見ていた。責め苦はまだ始まったばかりだが早々にそう思う。あの沖田からの睦言というのは想像以上にくるものがある。くるというのは勿論、悪い方の意味だ。込み上げてくるのはときめきなどという甘酸っぱいものではなく、恐怖だとか吐き気だとかそういう類のものだ。
 思わず目を背けて逃げ出してしまいそうになる。実行に移さなかったのはあの脅しが頭の隅をちらついたからだ今の姿で撮られたところで縛られているだけなのだからそこまでの問題はないのかもしれない。だがこんな姿が世に出回るかもしれないというだけでも到底耐えられるものではない。その思いが咄嗟の逃亡を踏み留まらせた。逃げるとするならその一瞬の躊躇は致命的で、逃亡を完全に不可能にするには充分過ぎた。沖田が続けざまに鳴く。

『事実を伝えただけなのにそんなに動揺するなんて可愛らしいですね』

 これは、本当にこいつが思っていることなのか。この翻訳機が適当な翻訳をしているだけじゃないのか。さっきから可愛いってなんだ。そんなこと今まで言ったことないだろお前。いや、言ってほしかったわけじゃなくてだな。そうじゃない。そうではなくて。
 居心地が悪い。居た堪れない。逃げ出したい。そう感じることこそがこいつの狙いだと、頭ではわかっている。でもこんなものは無理だ。むしろ沖田が何故平然としていられるのかがわからない。お前だって最初はかなり動揺してただろ。こんなもの、慣れるわけでもないだろうに。疑問に思う。だが問わない。翻訳機を通して回答を得れば、また似つかわしくない睦言が混じってきかねない。極力喋らせたくない。
 何も問わない。口にしない。表情までは繕えなかったがそれは仕方がない。そうして上辺だけでもなんとか取り繕えば追撃がくることはなかった。
 だが何もなかったわけでもない。口が動かない代わりに今度は手が不埒に動く。着流しの間に手を滑り込ませ直接肌を撫でる。基礎体温が特別高いというわけでもないので末端の手先はひんやりとしている。そろりと、素肌を撫でる。その手付きはどう控えめに捉えても下心が感じられる。筋骨の盛り上がりを確かめるように滑るように肌をなぞりながら胸元へと潜り込む。胸部をぐるぐると旋回しながら描く円の大きさを徐々に縮めていく。弄ばれている、と思う。だがそうわかっていても意識から切り離すことは難しい。気にしないように心がけるほどに意識がそちらに向くのを止められない。にう、と沖田が可愛らしく鳴いた。その声にはわずかに笑いが混じっている。

『期待していますか?』

 ムカつくので揶揄には応じなかった。こいつからの要求はこいつの鳴き声を翻訳して読めというところまでだ。無視せず会話をしろとまでは言われていない。だいたい、そう思わせるような触れ方をしておいて期待しているかなどと問うのは底意地が悪い。そういう奴だと知ってはいるが何度だって腹は立つ。
 俺が問いに応じなかったことを沖田は咎めなかった。機嫌を損ねた風もなく、指先が軽やかに乳首を押し潰した。

「っ、ぅ」

 そうくるとわかっていても身体が小さく跳ねる。乳首とかいう男には不要な器官は目の前の男による粘着質な開発行為により、性感帯のひとつとして仕上がってしまっている。甚だ不本意な状況ではあるのだが事実は否定しようがない。だから指で挟んで捏ね回されればうるさいくらいに心音が大きくなる。息が乱れ始め、気持ちが落ち着かず足先が布団を掻く。
 そうしている間も、視線を感じる。観察されている気分だし、実態もそこまで違ってもいないだろう。こいつの手のひらでいいように弄ばれているように思う。ムカつく。苦し紛れに睨みつけてやれば案の定視線がかち合った。沖田が鳴いたので渋々視線を外して表示されている文字を見る。

『そういう反抗的な態度も好きですよ』
「ぐっ……!」

 かなりの高確率で好きだの愛してるだのといった甘ったるい文言が飛び出してくる。そうなると身構えておくことはできるが、だからといってダメージを帳消しにできるわけでもない。辛い。なんの拷問だこれは。
 俺からしても辛いのだから沖田からすればさぞ地獄のような心地だろう。そう思って顔をうかがってみるとさほど苦しんでいる様子はない。……翻訳結果を俺の反応越しにしか知らないから涼しい顔ができるんだろう。それを確かめるために翻訳結果を突き付けてやる勇気はないが、そういうことにしておきたい。でないと不公平だ。
 いつまで胸を捏ね繰り回している気だ。興奮を高めるためにも前戯自体は否定しないがあまりに執拗なのは逆効果だと思う。いや、こいつはただ嫌がらせの一環としてやっている可能性も捨てきれないのでそれならばここで文句を言うのは逆効果だ。いや、それなら睨んだ時点でもう駄目なのか。だがじっと耐え忍んでいるのが正解なのか。目を閉じて顔を背けて耐えているようにも翻訳結果を読まなくてはいけないという縛りがある。俺が逃げの姿勢を見せればこいつはしきりに鳴いてみせるだろう。俺の嫌がりそうなことに対しては躊躇がない。そういう男だと知っている。沖田が鳴く。

『よそ見してないで、私のことだけ考えて』
「ぅ、え」

 よそ見は知らないが、お前のことしか考えてない。非常に不本意ではあるが。だがまあ、こいつの言いたいのはそういうことではないんだろう。目の前にいる自分のことだけを見て思っていろと。普段、そんなこと言わないだろう。どうしてこんな時に、いや、こんな時だからこそなのか。翻訳されているということは、少なくとも思ってもいないわけではないのか。そんな事実、今更になって知りたくもなかった。
 翻訳結果を読むたびにぐらぐらと頭が煮えるような気分になる。頼むからもう勘弁してくれ。そう訴えたいが、そう懇願したところでこいつは止めはしないだろう。

『さっきから動揺し倒しで可愛い』

 もう、黙れ。こうなったらもうさっさと終わってくれることを願うしかない。場所が場所だけに喚き散らして気を逸らすこともできない。内心のみで文句を垂れ続けておれば、沖田の手がようやく下へと向かっていった。
 着流しを肌蹴させながら素肌を辿っていく。そして下着に行き着くと、縁をかりかりと軽く掻く。抗議のような目を向けられたが知ったことか。ヤると決まってる時にだってノーパンだったことなんざないだろうが。
 自分で脱げなどと言い出されたら手を拘束されているので面倒だと思ったのだが、幸いにしてそれはなかった。沖田の指がパンツの縁に入り込み、雑に引きずり降ろされていく。人の手で脱がされるのもそれはそれで羞恥を覚えはする。かといって目を逸らすとまた鳴かれそうなので見ないという選択も取れず、ただ情けない己の姿を直視し続けた。
 両の足から引き抜かれたパンツが雑に部屋の隅へと放り投げられる。パンツ程度雑に扱われたところで怒りはしないが面白くないとは思う。文句を言うか言うまいか。そう考えているうちに沖田の手が足を掴んだ。片手が足、もう片手が腰を掴んで俺の身体を転がそうとする。……体勢を変えろってことか? 沖田の手に押されるままぐるりと身体を反転させてうつ伏せの形になれば手が引いていった。これぐらい言って俺にやらせればいいだろうに。

『膝を立てて、足をしっかり閉じててください』

 素股をやるというのは既に宣言されて知っているので、それならまあこの要求がくるのは妥当なところだろう。言われた通りの体勢を取るのは癪ではあるのだが、言われたとおりにしなければいつまで経ってもこの地獄のような時間が終わらないのは明白だ。だから渋々、その通りの体勢を取る。手が縛られているせいで腕を伸ばしておくことができず、尻を突き出すような形になってしまうのが羞恥を煽る。もしかするとこいつはここまで見越して手を拘束したのではないかとすら思えてくる。問わなかったので真偽は謎のままだが。そしてこの流れなら次は恐らくーー

「っ、ぅ……!」

 ひんやりとした何かが尻の割れ目あたりに落ちて下へ伝っていく。中に挿れないにせよ、潤滑油は必須だ。それはわかるが、使うとわかっているのだからあらかじめそれなりの温度にあたためておくだとかそういう心遣いはできないものか。そうい発想がそもそもなさそうな上に仮にあったとしても俺に対しては意図的に発揮されないんだろうが。いやでもお前そういうところがモテないんだぞ。
 そんなことをつらつらと考えているも潤滑油は継ぎ足されていき、脚をどろどろに汚していく。……おい、そんな量出したら布団が汚れるだろ。俺の布団だぞ。そう文句を言ってやろうと上半身をひねりかけたことで、脚の間に何かがひたりと押し当てられた。大きさ、固さ、温度。この状況からして可能性はひとつだ。
 閉じた脚の間に無理矢理ねじ込まれる。そこは潤滑油のおかげでやたらと滑りが良く、力いっぱい脚を閉じていても難なく進んでいってしまう。とん、と奴の腰が臀部にぶつかった。

『気持ちいいですか?』
「……」

 読んではいるが、こんなもんは無視だ。すべてに応じろとは言われていない。
 たかだが脚をひと擦りされただけで気持ちいいわけねえだろ。そう噛み付いてやりたいが、そんなささやかな反抗は後々の自分の首を締めることになる。脚を擦られただけ。それだけなのにぞわぞわと肌が粟立っているのがわかる。というか初めてじゃないんだから知ってんだろ。言わせたいだけだろうが。そんなプレイにむざむざ付き合ってやる気はない。

『俺は気持ちいいですよ。出し入れすると内股が震えて可愛いですね』

 また『可愛い』だ。こいつは今晩だけで一生分の可愛いを使い切るつもりなんじゃないだろうかとさえ思う。自分より年上で世辞にも可愛らしいと呼べる容貌をしていない男をそう形容できる感性は控えめに言ってどうかしていると思う。そんなことを言われた覚えがない。だが翻訳機の特性と表示内容からして言わなかっただけで思ってはいたということなんだろう。つまり俺は今後「もしかしてこの瞬間も言わないだけで可愛いと思われてるんじゃないか」なんてイかれた疑いが脳裏を掠めることになるわけか。そんなもん、呪いだ。それもこいつの狙いなんだろうか。そうだとしたら的確過ぎる嫌がらせだ。
 出し入れされる度に擦れるところからぞわぞわと快楽が広がっていく。それだけならまだ耐えられたのかもしれない。だが実際のところはそれだけで終わらない。脚の間に入り込んだ沖田のそれは、こちらのそそり立ったそれにも触れてくる。睾丸を押し潰しながらなお進み、裏筋を容赦なく擦っていく。そんなことを何度もされて感じるなという方が無理だ。先ほど散々に胸を弄り倒されたせいで与えられる快感に敏感になっているように思う。こうなるとできるのは耐えることだけだ。頭をずりずりと布団に擦りつけ、唇を噛み締めて情けない声が漏れないように努める。セックスよりだいぶマシとはいえ、たかだかこれだけのことでこうも追い詰められている己が情けなく思えてくる。物理的なダメージだけでももうぎりぎりなのに今回はそれだけじゃない。認めるのは癪だが、沖田からの睦言はただ気味が悪いだけではない。比率としてはそちらの方が高くはあるのだが、それでも聞いてしまうとどうにも――

「な〜おぉ」
「!!」

 鳴き声に身体が強張る。内容は恐らく睦言に違いないのに鳴き声そのものは何か不満を訴えるような、もしくは敵に対するようなそれだ。ごろにゃんと媚びられても気味が悪いのでそれは構わないのだが。
 ぴ、と無情な電子音。見たくはない。けれど見なければ状況は更に悪くなる。選択肢はなかった。

『愛してる』

 悲鳴は声にならなかった。両手が自由であったなら頭皮に爪を立ててめちゃくちゃに掻き毟っていたに違いない。ぞわぞわする。そして何より嫌なのは、わずかながらに嬉しいという感情が生じていると気づいてしまったことだ。その事実に打ちのめされる。まさかそんな甘ったるくて歯が浮くようなことを言ってほしかったのか。認めたくはない。だが実際にその言葉を向けられて嫌悪以外の感情もあるのは誤魔化しようがない。その事実に頭を殴られた気分になる。いつになく興奮しているのが自分でもわかって死にたくなる。なんとか誤魔化したくて手首に爪を立てて痛みで紛らわそうとしてみるが気休めにもならない。かちかちと歯が震える。もうやめてくれ、と言えるものなら言って降参してしまいたかった。実際のところはそんな真似はプライドが許さなかったし、そうしたところでこいつが止まらないのは目に見えていたので実行はされなかったわけだが。
 ふうふうと荒い息が落ちてくる。興奮しているのがわかって煽られる。それが向こうにも伝わってまた煽られる。悪循環だ。快楽が増幅されながら堂々巡っているのがわかる。こうなると抜け出す道はひとつしかない。わかっているから抗うのを諦めた。沖田の興奮の度合いに比例して、律動も激しさを増していく。
 普段より高揚している身体では長くは保たなかった。追い立てられて、快感がせり上がってくる。

「――――ッ、く、ぅ……」

 身体中に力が入る。下半身が震えて、局部からだくだくと白濁が飛び出たのがわかった。それから少し遅れて沖田の動きも止まる。食い締めるような息遣い。図らずもほとんど同じタイミングで達したらしかった。
 指一本動かすのも億劫で、許されるならこのまま眠ってしまいたいとすら思う。実際のところはこのまま放置すれば朝に悲惨なことになるし、なによりなにか一矢報いなければ気が済まなかった。

「……気が済んだならさっさとこれほどけ」

 気怠い身体を捻って沖田を見上げて訴える。何か嫌味のひとつでも投げてやろうと思っていたのだが――固まった。
 沖田の顔が、赤かった。茹だった蛸でもここまでではないだろと思うほどに赤い。何故、と考えて察する。平然としている風ではあったがやはりこの嫌がらせはこいつ自身にも相応のダメージがあったんだろう。そこをつついてやれば一矢報いるという目的は達成できる。できるのだが……そこまでするのは不憫に思えた。それくらいに赤く染め上がっている。

「…………片付け、お前も手伝えよ」

 何も言わないのも不自然に思えて、苦し紛れにそんな言葉を吐きつける。赤らんだ顔に気づいているのかいないのか沖田は表情を変えないまま、ひとつ鳴いた。

「にゃう」

 それを可愛らしいと一瞬でも思ってしまった自分がたまらなく嫌で、眉間の皺が深くなったのがわかった。

ニャンと本音が飛び出して

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