土方の野郎の部屋に忍び込むのは簡単だ。屯所の奥まった位置にあり、パワハラ上司だと恐れられでもしているのか用がなければ進んで近寄る者もいない。おまけに廊下と部屋は障子で仕切られているのみでセキュリティも何もあったもんじゃない。だからこうしてこっそりと部屋に忍び込み、寝込みを襲うのは容易なことだった。
 土方さんの眠りはそこそこに深い。懐に入れた人間が殺気と物音をさせない、という条件がつくもののそれさえ守っていれば目覚めることはあまりない。今回もその例に漏れず、横たわる身体に跨っても反応がなかった。本当に寝込みを襲うことが目的なのであればこのままでもいい。だがこれからやろうとしていることを思うと相手に意識がないのは困る。だから起こしてやることにした。寝ていてもなお眉間に深く刻まれている皺を指先でぐいと伸ばす。すると途端に右ストレートがこちらへ向かって飛んできた。予想の範疇だ。だから慌てることもなく腕で防いで受け流す。

「……あ?」
「おはようございます」

 覚醒した瞬間にぶつけられた殺意はこちらを認識した途端に萎んでいき、瞬く間に消失してしまった。いくら相手を知ってると言えども俺相手にこのシチュエーションは危険そのものだと思うが、この人の認識は違うらしい。

「久々に夜這いに来やした……ってのは冗談で、」

 俺とこの人はいわゆるそう、交際中という間柄である。そのため過去にこうして夜這いを仕掛けたことも何度かある。屯所では建物の構造上、いつ誰に気づかれるともわからない。それで最近はどちらからともなく屯所で致すことは避けるようになっていたのでこうして夜這いを仕掛けるのはかなり久々だ。
 状況的に夜這いなのは違いないが、目的はそこにない。誤解されては面倒なのでそこは早めに正しておく。ここでするのはお互いに望むところではないだろう。思わせぶりな態度でおちょくるのも楽しそうではあるがそれで逃げられては堪らない。口実になってやるつもりはなかった。

「アンタ、俺のこと避けてますよね?」

 目を覚ました瞬間だってそうだ。襲撃者ではなく俺だと認識した途端に表情があきらかに強張った。夜這いを警戒して、だとかそんな理由ではないだろう。それならもっと露骨に嫌な顔をするはずだ。それに、理由については心当たりがある。

「気のせいだろ」

 そして、こうしてはぐらかされるのも想定済みだ。言いたくない理由をもってこの人は俺を避けている。だがここで大人しく引いてやるほど俺は優しくない。

「そんなあからさまな嘘に騙されると思われてんなら心外ですね。なんだったらここで犯して無理やり吐かせたっていいんですが」
「最低の脅しだな」
「そりゃどうも。アンタ以外にはやらねえんで大丈夫ですよ」
「俺にもやるなよ」

 無論こけおどしではなく、本気ではぐらかすつもりならこちらも全力で聞き出すまでだ。それを証明するために着流しの下に手を這わせる。土方さんの眉が吊り上がった。これで本気なことは伝わっただろう。
 潜り込む手を掴んで押し戻そうとしてくるがマウントを取られている状態では土方さんの方が圧倒的に不利だ。元々の腕力差はそれほどない。体勢が有利であれば押し切るのは可能だった。
 しばらくはほぼ拮抗状態の攻防を続けていたが埒が明かないと判断されたのだろう。不意に土方さんの抵抗が緩んだ。

「……二股は倫理的にどうかと思うぞ。別れるのはいいとして、そういう中途半端なのは感心しねえ」

 誰にも気づかれないように声を殺しているところから更に声量を絞るので聞き取り辛い。それでも聞き間違えではないはずだ。

「二股? 誰がです?」
「この流れでお前以外いんのかよ」
「そりゃそうですが生憎心当たりがないもんで」

 経緯は不明だがどうやら俺が二股をしていると誤解されているらしい。二股の股のうちのひとつはこの人だとして、もう一人は誰だ。全く身に覚えがない。そしてなにより腹立たしいのはこの見当違いの指摘がただ諭すように穏やかであるということだ。何を誤解してるのかは知らないが、土方さんからすれば浮気をしている俺を責め立てる構図になる。だがどう見てもこの人は怒ってないし、責める素振りもなければ悲しんでいる風もない。ただ間違っていることを指摘している。それ以上の何かを感じ取ることができなかった。それが気に入らない。二股は間違いなく誤解だがそう思っているのならもっと然るべき反応があるだろう。

「全く身に覚えがないんですが、どういう経緯でそんな話になったんで?」
「山崎が、お前が同じくらいの歳の女と腕組んで歩いてるのを見たんだと」
「……はあ」

 具体的な内容を聞けばなにかわかるかもしれないと思っていたのだがここまで聞いても全くぴんとこない。発信源が山崎ということは俺を誰かと見間違えた、ということはなさそうだがあいつも結構思い込みが激しいところがあるので全部を鵜呑みにするのはどうだろう。
 あまりに心当たりがなかったのでいつの話かと更に問えば二週間ほど前と返ってくる。二週間前というと避けられ始めた時期と一致する。二股されたと思ったから俺を避けてたわけか。それはまた、随分とこの人らしくない。俺の知る土方十四郎は気に入らないことがあれば気に入らないとはっきり口にする。特に今回は俺の不貞だ。怒り狂うなり見切りをつけるなりこの人ならやりそうなものだ。それがどうして何をするでもなく黙り込んでいたのか。そもそもその腕を組んでいた女というのも誰だ。俺はそもそも女と関わることがほとんどない上に近藤さんのように金銭を介して女と遊ぶようなこともない。相手が男となれば誤解される可能性も否定できないが、今回は女と明言されている。それに腕を組むなんて相当なことだろう。本当にあったのだとしたら覚えていないということはありえないのでは……あ。

「ちょっとひとつだけ思い当たる節があったんですが、あれだったら道案内してただけですよ」

 やけに距離感の近い女に捕まって道を聞かれた記憶がぼんやりある。武装警察とはいえ、警察は警察だ。困った住民を助けるのは仕事のうちで、あきらかに俺を頼ってこられたのなら無碍にするわけにもいかない。近づかれるままに接触を許したのは先日悪い方で新聞に俺単体で取り上げられ、土方さんにこってり説教をされて間がなかったというのが大きい。さりげなく適切な距離を取っただけだとしても切り取りようによっては一般市民に暴力を振るう姿として激写されないとも限らない。女の目的地はそう遠くはなかったし、大人しく我慢した次第だ。褒められることはあれど、責められる謂れはない。

「道案内って、それだけか……?」
「ええ、他には何もしてませんが」

 案内が終わった際に連絡先を渡されはしたが、すぐに捨ててしまったので既に手元にはない。というか、最後まで見ていれば何もなかったことはあきらかだろうに。告げ口するなら責任持って最後まで尾行しろ、とこの場にいない男に向けて思う。
 面白みのない事実をぶつけられた土方さんは呆然としているように見える。この人なりに色々な未来を想定していたのだろうが予想外のものが来たんだろう。馬鹿な人だな、と思う。同時に腹立たしくも思う。先の発言でこの人は別れるつもりならそれで構わないといった内容を口にした。浮気が事実なのであればそこでおしまいなのだ。倫理を理由に諌めはするが怒らないし責めない。悲しむ素振りもなければ追い縋る気も甚だなさそうだ。それが気に入らない。こちらの執着を軽んじられている上にあちらは俺にたいして執着していない。その不均衡が何より気に入らない。脅しで犯すなどと嘯いたが本当にそうしてやろうかと思う程度には苛立っている。それでもその思いをあけすけに放出して子供扱いされるのは御免だった。だから表面上はたいして気にしていない素振りをする。

「なにかと思えばくだらねえ。というか、それなら真っ向から別れ話持ってくりゃ良かったでしょ。黙ってるなんざらしくねえ」

 今回、土方さんのからの反応が乏しかったために状況を把握するのが遅れた。浮気をしていると詰られれば話をして誤解を解くこともできただろう。だがこの人は俺がこうして問いただすまで何も言わなかった。俺に対する執着がないにしたって俺が倫理的に間違ったことをしていると思ったのなら保護者面して諭すくらいはことはしそうなものだ。考えてみると土方十四郎にしてはこの沈黙は不自然だった。
 実際のところ深く考えての発言ではなかった。一方的にこちらに責があるように思われるのが癪で、いくらか責任転嫁してやりたい。そんな気持ちでたいして考えもせずに発したものだった。だが存外それは悪くないところに当たったらしい。ぐ、と土方さんが一瞬言葉に詰まったのを目撃した。それで気づく。この人は、己の行動がらしくないことを自覚していた。その上で、それでもらしくない行動を続けていた。それは何故か。理由まではわからないが『何か』あるのだ。

「なーんかまだ隠してません?」
「……なんのことだ」

 そもそも、この人は嘘がそううまくはない。立場上嘘をつくこともあるがそういう時はあらかじめそれらしい嘘を考えておくか、黙することで結果的に嘘をついたという形を取ることが多い。だから咄嗟にそれらしい嘘を繕うのは不得手だ。そして付き合いの長い俺がその見え透いた嘘に気づかないわけもない。嘘には程度というものがある。少しつついてやれば簡単に出てくる嘘から始まり、拷問にかけても決して口にしない嘘まで。今回の嘘はどの程度のものだろうか。状況からして俺に関わることだ。それならばこれくらいで突破できるだろうと踏んで手をのばす。
 先ほどの脅しの再来だ。我ながら芸がないとは思うが、この状況でこの人によく効くのはこれだろう。傍若無人なのかと思えば存外他人の目を気にする小心さがある。俺だって職場が同じ奴に見られたくはないがこの人ほどではないと思う。だから脅しとして有効ならば実行したって構わないと本気で思う。抵抗を受けながらも着流しの隙間から手を滑り込ませて素肌に触れる。その手付きで本気であることは伝わったのだろう。降伏はあっという間だった。

「待て待て待て! 言うからその手まじでやめろ」
「やめてほしけりゃさっさと吐けよ」

 要求通りに待ってやるような優しさは持ち合わせていない。ここまで追い詰めれば充分だろうとは思いつつ、往生際悪く逃げられる可能性も捨てきれない。その万が一をなくすために手を止めることはしない。そうなるといよいよ追い詰められたこの人がついに本音を吐くという寸法だ。たいした理由じゃねえぞ、と予防線を張ってから渋々といった様子で。

「ムカついて冷静に話できそうになかったから落ち着くまで避けてたんだよ」

 よほど言いたくなかったのか暗闇の中でも見て取れるほどの渋面を浮かべている。常ならそのあたりを足がかりにおちょくって遊ぶところだが生憎今はそんな余裕がなかった。
 今、この男はなんと言った。ムカついた。たしかにそう言った。何に、なんて決まっている。この男は今の今まで俺が浮気をしていたなどと信じ切っていたのだが。それにムカついていたのか。そのわりには態度に全く出ていなかったが。しかし口先だけそんな嘘をついても得はない。ならば本当なのだろう。ムカついて、それで怒りが先行して冷静に対話ができないと判断したから俺を避けていた。そういうことか。そういうことなのか土方。

「……おい、無理やり言わせたんだからなんか言えや」
「ちょっと黙っててくだせェ」
「あァ?」

 低すぎる沸点にいきなり到達した気がしないでもないが今はそれどころではない。
 ムカつく。何にってそれはもう、自分自身に。山崎のせいとはいえ、そんなありもしない理由で避けられていたのだから怒ってもいいはずだ。どれだけ信用がないのか。おまけに自分はさっさと身を引くつもりだったというのも気に入らない。怒っていいしなんなら怒っていた。そう、過去形だ。ムカついていた。それが先ほどのたった一言で帳消しになった。より厳密に言うなら許してやろうと思ってしまった。ムカつく。己のちょろさが何より気に入らない。だがどう繕ったところでそれまで感じていた憤りが霧散してしまった事実は消えない。そうであればもう取るべき道はひとつしかない。

「俺の寛大さに咽び泣きながら感謝しろ土方」

 口ぶりこそ高圧的だが実情は撤退だ。無理だ。俺は怒っていた。それは揺らがないはずだったのに、その怒りを持って正当にこの人に少々痛い目を見てもらうつもりだったのに一言だけで一気に持っていかれた。なんならマイナスにまで振っているようにさえ思う。不本意だ。だが当初の予定を果たすのは今の心情では無理そうだ。
 差し込んでいた手を引いて、身体を起こす。たいして乱れていたわけでもない自分の服を整えて土方さんから距離を取った。

「じゃ、そういうことで」
「は? ちょっと待て、おい」

 背中に声をかけられるが、障子を閉じて聞かなかったことにしてしまう。拒絶はそれだけで充分に伝わっただろう。追ってはこないはずだ。
 ……とりあえず、山崎をシメよう。八つ当たりだと自覚した上でそう決めて自室に足を向ける。なんにせよ今日はもう寝てしまおう。これからうまく寝付ける自信はないが、その原因について考えると余計に眠れなくなりそうだったので意識的に思考から締め出してしまうことにした。

一撃必殺

back
inserted by FC2 system