軽く額を撫でる亜麻色の髪がさらさらと流れていく。どこまで重力に逆らわない柔らかな髪質には己にはないもので、いつまでも撫でていたくなる。だがそんな思いとは裏腹にこの時間は長くは続かないだろう。髪の主が不機嫌な視線でさしてきたためだ。

「なんでィ」

 ホテルの一室、ベッドの中で二人きり。事後の場で多少なりとも触れるのは何もおかしなことではないだろうに。そう思いはするものの立場が逆であったなら同じような反応をしていた気がするので文句も言えない。こいつとはそういった関係ではあるものの、過度なスキンシップを取ることはない。髪に触れるのが過度なスキンシップに入るのかといえば微妙なところではあるが。
 やることはやって、いつもと同じ流れなら身綺麗にして部屋を出る。どちらが先に動くかはまちまちだ。気まぐれでしばらくこうして二人してベッドで転がっていることはあるが、だからといって甘やかなピローロークを楽しむようなことはない。ただ横にいるだけ。だが今回は少しばかり違う。少しばかり思うところがあって、この機にをそれを口にすることした。

「お前、ずっとそっち側でいいのか」

 俺が抱かれる側で沖田は抱く側。最初からそうで、これまで役割は固定されていた。何故そうなったかといえば成り行きというのが適切か。既存の関係性が崩れ、こうして新たな関係を築くことになったのは沖田が行動を起こしたためだ。勢いに押され、流されるように始まったために話し合う暇もなくこのポジションに落ち着いた。

「俺のことが抱きたいんで?」
「……ま、抱けなくはねえが」
「あ? そっちから言い出しといてなんでその煮えきらねェ返事は。俺が下手くそだって言いたいんならその喧嘩、言い値で買ってやりますが」
「そうは言ってねえだろ。キレんな」

 沖田が上手いかどうかというのは比較対象がないので評価し難いが、下手ということはないだろう。互いに初めてのことばかりだったので血を見たが、回数を重ねることで改善されていき痛みを感じることもほとんどなくなった。だから技術面での不満はない。そういうことじゃない。ただなし崩しに始まったために今更になって考える。
 俺は抱かれる側としての立ち回りが上手い方ではない。積極的に快楽を求めることも反応で欲情を煽ることも、何もかもが不得手でつくづく向いていないと感じる。この現状でこいつを満足させられているとはどうにも思えない。だが逆の役割であれば話は別だ。性別こそ違うものの経験値はそれなりにあるのでうまくやれるはずだ。

「固定だと労力が釣り合ってない気がすんだよ」
「自分の方が大変って言いたいんで?」
「ちげえよ。逆だ」

 どうしたって能動的に動くことが多いのは男役の方だ。努力次第で負荷の割合は変えられるんだろうが、それをするには矜持が邪魔をする。それならいっそ一時的にでもポジションを変えてしまった方が釣り合いが取れるのではないか。

「抱かれんのが嫌になったってわけじゃねェんで?」
「それならもっとはっきり言うし終わってから言い出すのもおかしいだろ」

 どうにもこちらの発言の意図をはかりかねているようで発言に疑念が混じる。意図も何もそのままに受け止めてくれればいいんだが難しい注文なのかもしれない。こいつが捻くれているせいか、俺の日頃の言動がそうさせてるのか。
 必要な情報はすべて発言に含んだはずだが沖田はまだ納得していない。なんでそんなことを言い出すんだと、疑いの目を向けてくる。違う。そんな目をさせたいわけじゃない。

「ただお前にも同じだけ良い目を見せてやるべきだと思ってだな……」

 発言を重ねるほどに不機嫌になっている気がする。これならいっそ黙っていた方が良かったようにも思えてくる。だがこんな話ができるのはこのタイミングくらいだ。不自然に思われないように休みを合わせて、知っている人間に目撃される心配の低いそれなりに遠距離にあるホテルの一室を借りてこうしてひっそりと会う。結構な手間と時間がかかるので次がいるになるかわからない。その時まで同じことを考えているかもわからないし、黙して溜め込んでしまうのは己の性格上良くないこともわかっている。

「へえ……」

 何気なく発された相槌のようなものは不機嫌に煮詰まってはいなかった。お、と思った次の瞬間にはにんまりとした笑みを向けられて嫌な予感がしてくる。

「アンタにとってこれは良いことなんですね」
「……そうじゃなきゃ二度目はねえだろ」

 これまで痛みを伴わなかったとは言わないが、最終的に悪くはない。最初はかなりあった心理的な抵抗は回を重ねるほどに薄れてきている。一度やってしまったものは二度も三度も同じだろう。もしやこいつは俺が良くもないのに身体を開き続けているとでも思っていたんだろうか。そうだとしたら高く評価してもらっているようで悪いが、そこまで俺は慈善家じゃない。
 よくわからないが機嫌が好転したのは何よりだ。その弾みに前向きな返答があればいいが、そこまで望むのは欲張り過ぎか。このままではアンバランスな気がしているが、均すにしたって同意は必要だ。無理矢理釣り合いを取ったところでこいつが不満であるなら意味はない。

「俺はそっちはいいです。これ以上滅茶苦茶にされるのは御免なんで」
「…………いや、滅茶苦茶にしてんのはお前の方だろ」

 色々と言いたいことはあったが真っ先に口をついたのがそれだ。これ以上、と言われてもそもそもこいつを滅茶苦茶になどした記憶はない。いつだって心身共に振り回してくるのはこいつの方だ。だからその言いようは納得がいかない。
 これは真っ当な抗議であるはずだ。だが沖田にとってはそうではなかったようで、不快ですと言わんばかりに眉間に皺が寄る。さっきまでは上機嫌だったくせにもうご機嫌斜めらしい。儚い上機嫌だった。

「アンタ……いや、いいです。なんでもありやせん」
「その言い回しは絶対なんかあるだろ」

 中途半端に匂わせられると気になってしまう。だがいくら追及しても沖田が口を割ることはなく、この話は終いだとばかりに寝返りを打って距離を取られてしまった。何か思うところがあったのは間違いないはずだが、こいつの考えていることはよくわからない。

「心配しなくても俺は好きでこっちやってるんで安心してくだせェ」

 別に心配しているわけではないがそう言われてしまうと黙るしかない。これ以上食い下がればおかしな空気になるのは目に見えている。そこまでしてこだわるような話でもない。気になったから言葉にしただけで、是が非でもこいつを抱きたいというわけじゃない。

「……そうかよ」

 どう反応するのが正しいのかわからず乗せた感情は曖昧だ。なんだか柄でもないことを考えてしまった気がする。そもそもこいつは好き勝手にやりたいように生きていて、この状況が不満であるならばとっくにひっくり返しているはずなのだ。少し考えればわかりそうなものだが、そんなことにも思い至らないほどに視野が狭くなっていたらしい。
 この話はこれで終い。それはどちらからともなく空気で察しはついたはずだが沖田の視線がこちらに注がれる。……嫌な予感がする。何を考えているのか問いたいが、ろくでもない答えが返って来る気しかしない。それでも問うべきか、それとも無視を決め込むべきか。そう迷っている間にあちらから口火は切られてしまった。

「滅茶苦茶にされてる自覚はあるようなんで今後も遠慮なく滅茶苦茶にしてやりますね」
「自覚があるのと許してるのはまた別だろうが」

 こちらが許す許さないに関係なく一方的に滅茶苦茶にしていくくせに何を言っているんだこいつは。そういう意味ではこの宣言があろうとなかろうとこいつのやることは変わらないので聞き流しても構わないのかもしれないが、それはそれで増長させてしまう気もする。そのためひとまずツッコミは入れたものの響いている様子はない。まあ、この程度で聞き入れられるなら苦労はしてない。
 どうせ今後も許すかどうかに関係なくこいつには滅茶苦茶にされ続けるんだろう。どうにもこいつも俺に滅茶苦茶にされているらしいのでそれならいっそ同じだけ振り回してやるのもありかもしれない。そう思いはするものの、こいつと違ってこちらには自覚がない。いくら思い返しても滅茶苦茶にした記憶などなく、こいつの一方的な被害妄想なのではとすら思えてくる。

「なんです、その物言いたげな目は」
「いや……」

 そんな目をしていた自覚はなかったが沖田にはそう見えていたらしい。さっきとまるきり立場が入れ替わったな、などと思いつつも素直に吐露などできるはずもなく言葉を濁す。それでもしばらく疑いの視線は刺さっていたが、それでも最終的には俺と同じように追及は諦めたようで食い下がってくることはなかった。

春の嵐

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